更科はバブル絶頂期の1989年から2000年まで11年間にわたってイッセイミヤケを支えた。最初は総務や人事、広報など間接部門、最後は直接部門のブランドを担った。2000年に三宅が第一線から引退するのに合わせてIT(情報技術)企業インディゴへ転職している。

「あと何年働けるか分からないけれども、自分の知見や経験を『まめな』のためにすべて使いたい。久比をパイロットプロジェクトとして位置付けて、理想的には全国展開できればと思っています」

「小さな離島で起業するなんて面白そう」

「まめな」を語るうえで欠かせない人物がもう一人いる。更科を久比へ導く役割を演じた若手起業家だ。

小さな離島で起業するなんて面白そう――。2018年春、更科は投資会社ミスルトウ(Mistletoe)の一員としてプレゼンを聞いているうちに、居ても立っても居られなくなった。

目の前でプレゼンをしていたのが当時30代半ばの起業家、三宅紘一郎(デザイナーの三宅とは親戚関係にない)。広島・呉出身。とびしま海道の一角で日本酒ベンチャー「ナオライ」を創業し、有機栽培のレモンを使ったスパークリング酒「ミカドレモン」を発売したばかりだった。

ナオライ創業者の三宅紘一郎さん
ナオライ提供
ナオライ創業者の三宅紘一郎氏

ナオライの創業地は三角島みかどじま。同島は大崎下島の対岸にある離島であり、ここも久比に含まれる。

2人の起業家がつながった瞬間

ミスルトウでは当時、さまざまなプロジェクトが同時並行で走っていた。その一つが「リビングエニウェア(LivingAnywhere)」。好きな場所でやりたいことをしながら暮らすライフスタイルをうたうプロジェクトで、後に不動産情報サービス大手LIFULL(ライフル)へ引き継がれて部分的に事業化されている。

三宅のプレゼンを聞いているうちに、更科はひらめいた。リビングエニウェアの候補地として瀬戸内は最適かもしれない!

善は急げ。「久比に一度行ってみたいな。ナオライがどんな活動をしているのか見てみたいし、久比がどんな所なのかも見てみたい。案内してもらえますか?」

三宅は二つ返事で答えた。「喜んでご案内します!」