強調したいのは、ロジックツリーは思考を深めると同時に、広げることにも活用できるという点だ。結婚相手の条件をロジックツリーで整理していく過程で、ときに作成中のツリーに収まらない条件が思い浮かぶケースがある。たとえば「相手の両親とは同居したくない」といった条件だ。この条件は、本人の外見には関係なく、かといって本人の内面に属するものでもない。こうした特異点(既存のツリーにない箱)が見つかった場合には、ツリーに「両親」という箱を新たに追加する必要がある。

ところが、単純に「両親」という箱を「外見」や「内面」と同じグループに並べるのでは正しいといえない。「外見/内面/両親」という分類はMECEではなく、漏れやダブりを誘発するからだ。「両親」の箱を追加するなら、一つ上の階層に「本人/本人以外」というクライテリア(評価基準)を設けて、「本人」の下に「外見」や「内面」、「本人以外」の下に「両親」を連ねるのがロジックツリーのあるべき姿だ。

このように特異点をツリーの中に位置付けていくと、「外見/内面」が結婚の条件のすべてだと考えていた人も、それが全体の一部にすぎなかったことに気づき、その上にある「本人/本人以外」というより広い視野を獲得できる。特異点を追加していくことでツリーはどんどん横に広がるが、同時に思考もまた広がるイメージだ。

問題は特異点の見つけ方だろう。ロジックツリーだけに頼っていると、物事を深く掘り下げることはできても、視野を広げて新しい発想をすることは難しい。いかにほかの思考法と組み合わせるかが、思考を広げる鍵になる。

冒頭では単なる思いつきの弊害を指摘したが、ロジックツリーなどのフレームワークと併用するのであれば、ブレーンストーミングで片っ端からアイデアを列挙していく方法も悪くない。リストアップしたアイデアを既存のツリーに落とし込むとき、適当な箱が見当たらなければ、それこそがまさに特異点である。

ロジックツリーは物事を論理的に構造化する手法であり、第三者にも思考回路が理解できるという意味でサイエンスに近い。それに対し、たとえばブレーンストーミングは自分の中にある考えを非構造的に膨らませていく手法であり、人によって結果が異なる。どちらかといえばアートの領域だ。

特異点を見つけ出すにはアート的な手法が効果を発揮するが、それが本当に特異点であるかどうかは、構造化されたロジックツリーに照らし合わせて見極める必要がある。アートとサイエンスのどちらか一方だけでは、新しい視野は獲得できない。非構造化と構造化の繰り返しによって思考は広がり、深まるのである。

(構成=村上 敬 撮影=相澤 正)