「コトラー」前後で意味合いが激変
先ほどコトラー教授の話が出ましたが、彼と何年か前に会ったときに、おもしろい場面に遭遇しました。コトラー教授の講演を聞いたあと、彼の著書のサイン会があったのです。そこで彼が興味深いことを言っていた。「私はたとえ自分の本であろうとも、古いものにはサインしない。ここに1年前の本がある。こちらは2年前。まあ4年ぐらいが許容範囲で、それより古い本にはしない」と。彼自身がそう言っているのです。
そう聞くと、彼はなんとケチなやつだと思うでしょう。でもそうではないのです。マーケティングは進化をする。だから古い本にはもうあえてサインはしたくない。要するにそれくらいマーケティングというのは変化していくから、やはり数年ごとに見直さなければいけない。そしてマーケティングの守備範囲も、あるいは課題も変わってきているというのが彼の主張で、なるほど、と思ったのです。
では、マーケティングの歴史を学ぶことに今日的な意味はあるのか。これは、近代マーケティングの歴史であれば意味があると思います。実はマーケティングという言葉が世に出てから、まだ100年と少ししか経っていません。1900年代の初頭にアメリカの大学、ミシガン大学だとかペンシルベニア大学でマーケティングの講義が始まったと言われています。
しかしそれから約50年間のマーケティングというのは、現在のマーケティングとはまったく似て非なるものです。トウモロコシの流通はどうなっているかとか、じゃがいもの産地はここで、そのあとの輸送はどうなっているか。当時はほとんどが農産物の流通にフォーカスされていたのです。
それに対して近代マーケティングというものがあります。近代マーケティングをつくったのがコトラー教授と言われている。もちろん彼ひとりではなくて、マッカーシーもいたし、ダディとか、レヴザンとか、先人は多数いるのですが、もっとも世に認知されているのがコトラーと言われています。
コトラーのマーケティングというと、だいたい1960年くらいからといっていい。第二次世界大戦を終えて、一気に産業が花開いた頃にできあがったのが近代マーケティングなのです。ですから、近代マーケティング以降のマーケティングの歴史をたどることには意味があると思います。
簡単にたどってみますと、マーケティングの大きな節目というのはやはり80年です。そのとき何が起きたかというと、マイケル・ポーターが「競争の戦略」を出したのが80年なのです。ポーターはマーケティング・プロフェッサーではありませんが、経営とマーケティングは隣接した学問です。それまでは競争という概念がほとんどありませんでした。マーケティングは市場がぐんぐん成長したときにできたものだからです。日本で言うと高度経済成長期、アメリカでいうと黄金の50年代から60年代。石油ショックになる前のことです。