究極の情報整理は情報遮断である

あらゆる仕事はアウトプットを向いていなければならない。本当に自分が達成したいと思っているアウトプットがあり、それが注意のフィルターとなっていれば、あらためて膨大な情報を精査しなくても、本当に大切なことはだいたいわかっているものだ。本当に大切な情報は頭の中にとっくにインプットされているわけで、すぐにアウトプットの生産ラインを動かすべきだ。それでもどうしても足りなければ、アウトプットにとって必要な情報がはっきりしたところで、それを取りに行けばよい。情報のインプットを増やしていけば、自然とアウトプットが豊かになるということは絶対にない。情報と注意のトレードオフを考えると、実態はむしろ逆である。

毎日インターネットとまじめに向き合っていたら時間があっても足りない。自分の読んだ本や見た映画の備忘録として僕もツイッターを使っているが、フォローしている人はごくわずか。タイムラインにバーッと情報が入ってくると読み切れなくて困るので、極力フォローしない。もちろん全部読む必要はないとわかっていても、情報が流れてくれば読んでしまう。目の前の情報は取り込もうとするというのはきっと人間の本能なのだろう。これがインターネットの抱えている本質的な矛盾である。情報の遮断とそのための方法論がこれからのアウトプットのカギを握っていると思う。

今回の内田さんの2冊は情報整理とか活用とかいう話ではなく、情報遮断の方法論であると考えたほうがわかりやすい。内田さんの言う20の引き出しというのは、要するに「情報遮断装置」である。引き出しに引っかからないものは無視する。収納して保存することよりも、排除して遮断することに引き出しの一義的な役割がある。

すでに検索というサービスがあるではないか、とお思いの方も多いだろう。確かに、ある意味では検索は「情報遮断」の手段である。ただ、ごく消極的な遮断にすぎない。情報通信技術が進歩すればするほど、人は注意を犠牲にするようになるから、もっと積極的に情報を遮断する必要がある。人間の脳のキャパシティが向こう一万年ぐらい増大しないとすれば、遮断こそが注意を取り戻す一番手っ取り早い方法である。内田さんの本はこの点でまことに実用的である。

これからも情報整理の方法論についての本は毎年山のように出版されるだろう。しかし僕はこのテーマについては内田さんの本以外はもういらないという積極的遮断を早速実践する所存である。

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