知的生産の本丸は「アウトプット」にあり
そんなわけで、この本を一行で整理すると、「20ぐらいの引き出しを頭のなかに持ちましょう。以上」。情報源はこういうものがいいとか、最新の情報収集テクニックとか、集めた情報はこうやってファイリングしろとか、そういうスキル的な話は一切ない。まことにすがすがしい。
僕は「注意」という人間の限られた資源を最大限に活用したいなら、この本に書かれている方法論がいちばんすぐれていると思う。その理由は、本書の続編ともいえる『プロの知的生産術』に詳しい。この本では、とかく情報の収集、整理に焦点があてられがちなのだが、知的生産の本丸はあくまでも「アウトプット」にあると強調している。知的「生産」というぐらいだから、軸足をアウトプットに置くのは当たり前だ。しかし、この肝心のところをないがしろにした本が多すぎる。
そもそも人が情報をインプットする目的は大きく分けて2つある。一つはインプットそれ自体のため。もう一つはアウトプットを生むため。前者を「趣味」、後者を「仕事」といってもよい。趣味と仕事の違いは明確だ。趣味は自分のためにやること、仕事は人のためにやること。どちらのためのインプットなのかで、情報の意味はまるで違ってくる。
僕は音楽が好きで、普段は音楽を聴いたりそれに合わせて踊る、ということに取り組んでいるが、ときには自分のバンドでライブもやる。僕の音楽の楽しみ方は垂直統合型で、自分のスキな音楽を聴き、それを演奏し、録音し、またそれを自分で聞いて踊るというサイクルが延々とループするというもの。ただし、これはまったくの趣味である。人の役に立っていない。むしろ人の迷惑になっているというキライがある。ライブをやってもこっちが勝手に気持ちよくなっているだけで、オーディエンスには(仕方なしに)つきあいでライブハウスにお越しいただくという成り行きである。
趣味であるからして、音楽や楽器やオーディオ機器についての情報インプットも自然と旺盛になる。雑誌(たとえばオーディオに関しては「ステレオサウンド」というわりとマニアックな季刊雑誌を定期購読)はもちろん、ネットの記事を検索することも少なくない。結果的に膨大な情報にアクセスしている。単純に楽しいからである。趣味であれば情報のインプット自体が目的でよい。いくらでも情報収集すればいい。
ところが、人の役に立つ成果が生み出されなければ、仕事とはいえない。自分では仕事と思っていても、漫然と情報をインプットしているだけで、アウトプットが出なければそれは趣味の領域にとどまる。仕事での情報インプットは、アウトプットを生み出し、人の役に立つための手段に過ぎない。インプットそれ自体が全部楽しいということはあまりない。目に触れる情報はそれこそ膨大だからこそ、アウトプットにつなげるために注意のフィルターが必要になる。