生産に寄与しない在庫をもつのはムダ
多くのビジネスパーソンが情報の収集や活用に関心を持ち、ツイッターだ、フェイスブックだ、アプリがどうしたのこうしたのとさまざまなツールを使いこなし、せっせと情報をインプットしている今日この頃であるが、ほとんどの場合は結局のところ「趣味」にとどまっているのではないだろうか。本人は「仕事に役立つ」と思ってやっているかもしれないが、アウトプットに変換され、成果につながることはごくわずかだというのが実際のところだろう。
ファイロファックスはこう使おうとか、手帳はやっぱりモレスキンがいいとか、エバーノートはここがいいよね、とか。それはプロセス自体が楽しいのである。だから一見、役に立ちそうな仕事術に見える情報整理の方法論は、結局は趣味の話に終始していることが少なからずある。その点、内田さんは仕事=アウトプットに徹している。本来の仕事のための情報の方法論であれば、内田さんのこの2冊だけあればいいと思う。というか、この2冊以外に「注意」の問題を真正面からとらえた本を知らない。
内田さんは脳内引き出しは20個ぐらいでちょうどよいという。100や200のテーマに同時に目を向けて、それが全部人の役に立つアウトプットとして出てくるということは超人でもない限りありえない。生産能力が100個しかない工場に1万個分の部品を持ち込んでも、情報が過剰在庫になるだけだ。生産する予定もつもりもない製品のために、せっせと部品の供給を受けて喜んでいるだけであれば、それはまごうことなき趣味の世界である。本来であれば、どうぞ家でやってください、仕事場には持ち込まないでください、という話なのだが、現実には生産ラインに乗らない部品の在庫を無意識のうちに抱え込んでいる人が世の中には多い。
その典型的なパターンが、「とりあえずの調査」。達成すべき成果、生み出すべきアウトプットの明確なイメージなしに、漠然としたテーマに向けてまずは調査しようとする。インターネットやITを駆使して膨大な情報を収集して分析する。途中で何のために何をやっているのかわからなくなり、挙句の果てに何のメッセージもない調査レポートが出てくる。
こうした不毛の調査分析が横行しているのは、一昔前と比べて、情報収集や調査のコストが極端に低下しているからである。20年前までであれば、一つの情報を手に入れるだけでもわりと努力と苦労を要したものだ(僕が学生のころは公開されている雑誌記事情報であっても、図書館に行って「雑誌記事目録」とかいう異様に分厚い電話帳のようなものを引きながら、図書館の中を駆けずり回って雑誌のコピーを取らなければならなかった。同じ仕事がいまであれば1万分の1の労力でできる)、よくよく考えてとるべき情報を取捨選択した。そもそもアウトプットにとって意味のない情報は極力とらないようにするということに注意を振り向けたものだ。