人間は地球に優遇される特別な生き物ではない

昆虫や猫などと共に暮らし、生きることにまっしぐらな彼らの姿を見ていると、人間だけが「こうあるべきだ」という思い込みや「こうでなければならない」いう理想を掲げ、生きることを難しくしているのではないかと感じることがあります。

人間は知恵と共にメンタリティをもつ生き物だとされますが、そのメンタリティをもつことが、何故これほどまで承認欲求や自己の主張を肥大化し、自分たちだけが特別な存在であるという意識を生んでしまうのか。

 前述したように、それも生き延びていくための工夫のひとつであり、人類という生物としての独特な自己防衛力の現れとも言えるのかもしれません。にしても、「メンタリティの横柄さ」とでも言ったらいいのか、精神を備えているからどんな生き物よりも優れていると考えるのは、あまりに傲慢であり、場合によっては危険性を伴う認識ではないかとも思うのです。ホモサピエンスが地球上最も支配力の強い生物だというのはわかりますが、だとすると我々が携える精神というのは、地球から与えられた生に対する試行錯誤的な条件なのかもしれません。

人間の脳は情緒を感じる機能をもち、そこから感動も発生し、それらが生きる上での心の活力や栄養素になっていることは否定しません。私も美しい景色に身を置いたり、素晴らしい音楽を聴いたり、映画に感動したりする度に、たとえ死というものが条件づけられているとしても、生まれてきてよかったと思ったりしますし、そこから刺激を受け、エネルギーを充填することを大切に考えています。しかし、だからと言って人間が、地球上でいちばん優れた生物だと考えることには常に違和感があります。

「尊い命がこんなことで死ぬなんて」というエゴ

今回のパンデミックを通して、画期的なまでに認識させられたことは、「人間というのは、生物的にも、決して地球から優遇されている特別な生き物ではない」ということです。

例えば、ウイルスや細菌のパンデミックは、人間だけに起きるものではありません。ネズミやゴキブリにもパンデミックがあり、ネズミに関しては意味不明の大量死が発生して、その総数が激減するときがあるのだそうです。つまり、パンデミックは生物であれば起こり得るもので、今回は人間にそれがやって来たというわけです。

しかしそこで、生物のなかでもたまたま想像力や情緒を携えた人間は、「預かった尊い命がこんなことで死ぬなんて酷い」という意味づけを行います。そのように自分たちの命を優越視する生き物も、おそらく人間だけではないかと思うのです。逆にウイルスから見た場合、人間は単純に生ける有機体であり、"特別"であるとか、"尊い"といった意味づけはそこには一切ありません。まして今回の新型コロナウイルスは、人間を制裁するために天から遣わされたものでもなんでもない。メンタリティをもつ人間は、あらゆる現象に何かと心に響くドラマティックな脚色をしがちですが、生物として捉えたなら、ウイルスの目的は自分たちの生き残りという、その一点以外の何物でもないのではないでしょうか。