“最底辺”に落ちながら日本の頂点に立った男
実力がすべてのスポーツの世界で、“最底辺”に落ちながら日本の頂点に立った男がいる。岡山春紀(27・コモディイイダ)だ。
岡山は約10年前、正月の箱根駅伝に出場する古豪の大学チームの入部を断られたにもかかわらず、その後、「日本代表」に成り上がった。8月27日には、ドイツで開催される「IAU(国際ウルトラランナーズ協会)100km世界選手権」に日本代表として出る。
挫折を何度も経験しながら、夢に向かって自ら道を切り開くことができたのはなぜなのか。同選手権を前にした本人に取材した。
市民ランナーだった父親の影響を受けて幼少の頃から走り始めた岡山。中学で陸上部に入部し、5kmロードレースで15分50秒台の好タイムを残して、熊本県の駅伝強豪校である鎮西高に特待生として入学した。
だが、ここで最初の挫折を味わうことになる。故障が多く、ほとんど走ることができなかったのだ。高校時代の5000mベストは3年時の秋にマークした15分25秒。それでも大学では箱根駅伝を目指そうと考えていた。
「実家が農家だったこともあり、東京農業大学に憧れていました。勉強と競技を両立できますし、当時の東農大は強くて、カッコよく見えたんです」
東農大は箱根駅伝に第2回大会から参戦して、69回(歴代7位)の出場を誇る古豪だ。近年は低迷しているが、2010年の箱根駅伝では総合5位に入っている。中学生の岡山にはキラキラ輝いて見えた。
東農大で箱根駅伝を走り、卒業後は九州の実業団で競技を続けて、オリンピックを目指す。それが岡山の目標であり、夢だった。
ただ高校時代の競技実績では東農大にスポーツ推薦で入ることはできない。それでも一般推薦入試を受けて、見事合格を果たした。これで、箱根駅伝での活躍の道が開けたと思われたが……。
顧問の先生が東農大のコーチに「入部したい」意志を伝えていたものの、そのコーチが大学を去ることになり、すんなりと入部することができなかったという。タイミングが悪いことに入学時は故障中だったため、入部には一定の基準をクリアすることが求められる体育会陸上部に入れなかった。しかたなく一般のランニングサークルに入り、競技を続けた。
1年後、東農大陸上部に仮入部するも、7月までに5000mで15分00秒を切るという入部条件を課された。岡山は同級生である2年生に敬語を使い、1年生と一緒に行動した。そうした中で条件クリアに挑んだが、またも練習中に故障。悪いコンディションながらも、なとか出場した7月の記録会。岡山は15分の壁を突破できず、失意のまま陸上部を去った。