韓国独自の「日本観」が議論を妨げている

外交は通常、自国の政策や方針を相手国に説明し、協議する。しかし韓国では、上記の例のように、政策以前に、韓国独自の「日本観」ゆえに話が進まないことがある。やや特異なことだとしても、日本は平素から、正確で客観的な日本観の形成に意を用いることが求められる。

この時期(2014年)、同じように「韓国は変わった」と感じた例を、他に2つあげよう。

ソウルの中堅私立大学で日本文化イベントを行った時、大学の副学長が開会あいさつでこう述べた。「中国との交流は素晴らしいと称賛し、日本との交流には顔をしかめる人が最近多い。誰が考えてもおかしいことだ。以前の大韓民国はこうでなかった」

政府高官が、ソウルにいる各国特派員たちを招いて、対外経済政策の説明会を行ったという。この高官は、韓国経済にとって日本の重要性が急速に低下したことを力説し、さらには経済と関係のない歴史問題で日本への不満を述べた。参加者たちは奇異に感じたと聞いた。

日本人だというだけで舌打ちされることも

外交部の、40代後半の中堅幹部の話。彼はソウルでの日本大使館主催レセプションの招待を受け、参加した。同じ招待を受けながら参加しなかった役所の同期が複数いたと後でわかったという。彼らに聞いたら「日本だろ。日本大使館だろ。誰が行くか?」と答えたという。これには彼自身が驚いたし、この話を伝え聞いた外交部OBたちは嘆いた。

あるOBは私にこう言った。

「他国の大使館の招待を受ければ、光栄この上ないとして先約をキャンセルしてでも行くものです。外交官どうし、そういうものです。関係がよい時もそうでなくても。我々はそう教わってきたし世界どの国でもそのはずです。しかも、日本ではないですか。『日本、誰が行くか』という考えの人は、外交部にいる資格がないと思います」

次は、市井の小さなエピソードだ。ある程度韓国語のできる日本女性がソウルで韓国女性に道を聞かれ、教えた。「あれ、日本人?」と聞くのでそうだと答えると、チッと舌打ちされた。韓国語を何年も勉強し道を教えたあげく舌打ちされ、当人はショックを受けていた。他の国ではほぼありえないことだろう。もっとも日本で、韓国の方が不快な目にあうこともありえ、その点を心にとどめたいとも思う。