商品足りず、東京中のデパート行脚も

――それがマガシーク誕生秘話ですね。ここで改めてマガシークについて少し教えてください。

当時、多くの人が洋服を買おうと思うときに雑誌を参考にしていました。調査の結果、実にその割合は80%を占めていました。ダントツです。それなら、雑誌に出ている服のデータベースをつくって、まとめて扱えばいいのではないかと考えたのです。メーカーをみると伊藤忠の取扱いブランドも多い。それなら社内のネットワークで仕入れができるように商品を集め、多くの女性誌・男性誌とコラボレーションができたらと考えました。けれど、当初大手出版社からはずいぶんと断られました。

――出版社側からするとリスクはない話なのに?

「なんだかよくわからない」というのが理由で、当初の説得には難航しました。しかし、その後紹介で出向いた小学館で、「実はそうしたことをやってみたかったのだけれど、なかなか商品を集める力がなくて」という方と素晴らしいタイミングで出会うことができたんです。ここから話が好転しはじめます。2000年8月にはサイトが立ち上がり、この頃になると一人ではとても追い付かず一般公募で採用し、メンバーを7名に増やしました。とはいえ、この段階ではまだユニフォーム部内のプロジェクトチームです。

その後、雑誌でも宣伝をしていただき、お客さんが1週間で1万人きてくれました。やはり需要はあるということです。しかし、肝心な“商品”が揃わなかった。今だから言える話、スタート時商品が150枚くらいしか揃わず、あっという間に売り切れになってしまって出版社からずいぶん怒られたこともありました。困って、困って……、東京中のデパートに出向き買い集めるようなこともしていましたよ。

――うれしい悲鳴ですけれど、デパートの上代で仕入れをして間に合わせたのですね。

はい。しかし、これではやってもやっても利益がでない、頭の中は真っ白でした。雑誌に出ている洋服は人気商品ばかり。そうなれば集めるのが困難なのは当然。そこでアイデアを出しあい、「掲載落ちコーナー」というのをつくったらこれがウケたんです! こうなってくるとメーカーサイドも楽しみだします。多方面からの協力もあり、当時人気だったセオリーの服が500枚売れたなんていうことも起こってきます。

――まさに手探りの船出ですが、当時の周囲の反応はどうでしたか。

はじめは冷たい風が吹いていました。「やめたらどう?」なんていうことも言われました。けれど可能性を信じて特別な応援をしてくれた上司もいました。

(後編に続く)

(柴田励司=聞き手 高野美穂=構成)