親の脛をかじる学生が「本当にやるべきこと」

さらに、学費値上げ反対運動についても、当時の日本は高度成長期にあって、所得も物価もどんどん上昇していました。

そんな時代に学費だけを「上げるな」というのは無理な相談だし、そもそも彼らの授業料のほとんどは親が払っているわけです。授業をボイコットして反対運動に精を出すより、授業をきちんと受けるべきだろうと考えていました。

結局彼らの大半は、親のすねをかじっている学生。自立もしていない学生が、天下国家について語る資格があるのか──。

エネルギーを持て余している若者たちが徒党を組んで、何かの目標に向かって進むという妙な連帯感を楽しんでいるだけではないかと、冷ややかに見ている自分がいました。

それ以来、ぼくは群れること、徒党を組むことを嫌うようになったのです。

『課長 島耕作』誕生前夜

「群れない」というこの僕の考え方は、その後、作品にも色濃く反映されることになりました。

漫画家デビュー10年目、36歳になる年にぼくは、創刊したばかりの『コミックモーニング』から読み切り作品の依頼を受けました。

「何を描こうか……」と考えて思いついたのが、ごく普通のサラリーマンを主人公にした漫画──のちの『課長 島耕作』でした。

記念すべき第1話は、読み切りのつもりで描いた「カラーに口紅」というタイトルの短編でしたが、編集部がこの作品を気に入り、「係長 島耕作」というタイトルで雑誌に掲載しました。

その後、「面白いから、ぜひシリーズ化してください」との申し入れがあったので、ぼくは深く考えもせずに「いいですよ」と承諾し、「課長 島耕作」という名の不定期連載が始まりました。「カラーに口紅」の主人公である島係長が、エピソードの最後に課長に昇進していたことで、第2話のタイトルが「課長」となったのです。