※本稿は、弘兼憲史『捨てる練習』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
ぶれない“芯”がある人、ない人
最近はあまり耳にしませんが、「竹を割ったような」という表現があります。改めて辞書を引くと、「性質がさっぱりして、わだかまりがない。気性に陰険さや曲がったところがない」とありました。
いいですね。
複雑に入り組んだ現代社会だからこそ、せめて自分だけはシンプルでありたい。シンプルに生きたいと考える人が多くなっています。そんなシンプルなスタンスの究極は、“竹を割ったような人”かもしれません。
多くの人は、そんな生き方に憧れを抱き、わだかまりがあって、陰険で、曲がった性格の人を嫌うのです。
では、シンプルでわかりやすい人と、複雑でわかりにくい人との根本的な違いは何でしょう。
それは「揺るぎない価値観」を持っているか、いないか。「ぶれない芯」があるか、ないか。「譲れない一線」を守れるか、守れないか──ではないでしょうか。
「芯以外のものは、捨ててしまおう」
いま挙げた「揺るぎない価値観」「ぶれない芯」「譲れない一線」はほぼ同じ意味で、「何があっても、これだけは断固として守り抜く」という、“自分が生きていくための原理原則”と考えてください。
自分の根本=中心にあるべきものですから、「芯(コア)」と呼ぶことにします。
シンプルな人には、ぶれない芯がある。他人がいくら揺さぶっても、決して揺るがない強い芯を持っているのです。
その一方で、芯にかかわりのないことには、まったくこだわりません。守り抜くものは、たった1つ。自分の芯だけでいいと考えているからです。
芯だけは守る、あとはどうでもいい──という潔さが、わかりやすさ、シンプルさを生み出します。そこでぼくは「芯以外のものは、捨ててしまおう」と提案したいのです。