パニック症の治療と離婚

離人症の発作がパニック症からきているものだと考えた向坂さんは、「離人症を治すためにはまず、パニック症を治療しなくては」と考え、東京大学医学部附属病院が認知行動療法の治験者募集(当時)をしていることを知り、応募。無事採用され、約半年間の治療を終える頃には、パニック症も離人症も快方に向かっていた。

離人症が軽快し、アイデンティティー(自我同一性)を取り戻すにつれ、向坂さんは再び性別違和を強く感じるようになってきていた。あるとき向坂さんは、自分が本当に男性としての性自認があるのかどうかを試してみたくなり、男性としてインターネット上の趣味のコミュニティーに参加。すると向坂さんは、男性として振る舞っていることがあまりにもしっくりきて、本来の自分の感覚と一致しすぎたため、「このままでは女性としての日常に戻れなくなる」と危機感を募らせる。

2004年10月。悩んだ向坂さんは、性同一性障害を専門に扱う精神科を受診。初診で医師は、「おそらく性同一性障害と言って差し支えないでしょう」と告げ、同時に、「これまでのパニック症や離人症は、性別違和のストレスが関与していたのではないか」と言われた。

これを聞いて、一度は男性として生きることを諦めた向坂さんだったが、「一度きりの人生、悔いなく生きたい」と思い直し、性別移行を決意。

まず夫に、性同一性障害と診断されたことを告げた。だが、全く取りあわない。向坂さんが離婚を切り出すと、「自分が精神的ゲイになってもいい」「仮面夫婦でいい」と言って頑なに受け入れない。「そんな(仮面的な)両親の元で育つのは、子供にとってよくない」と説得するも、夫の耳には届かなかった。

夫は生まれてから一度も実家を出たことがない。会社経営をする親の元で、経済的に恵まれた生活をしてきたため、もともと労働意欲が感じられない人だったが、向坂さんがカミングアウトをしてからは、日に日に酒量が増えていき、仕事も休みがちになり、徐々にアルコール依存症のようになっていった。

カーテンを閉めたままの薄暗い部屋でグラスにアルコールを注ぐ手元
写真=iStock.com/art159
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「私は性自認に関係なく、人を見る目がなかったようです。正直なところ、私のパニック症が重症化したのは、彼の分離不安が原因だとずっと思っています。にもかかわらず彼は、私が長年パニック症や離人症で苦しんでいる姿を見ても、『自分は医者じゃないからよくわからない。そんなにつらいなら病院に行けば?』と素っ気なく言うだけでした。性別違和があってもなくても、遅かれ早かれ彼とは離婚していたということは確実に言えるでしょう」

やがて夫の弟からも、「うちの両親に、あまり精神的な負担をかけるようなことをしないでやってくれ」と言われ、義両親の世間体も考えた向坂さんは、調停離婚に踏み切る。

2006年12月、一向に離婚に応じない夫の納得を得るために、子供たちの親権は夫が持つことで離婚。向坂さんは37歳になっていた。