甲州・勝沼でワイン醸造を開始した二人の青年

ヨーロッパと違い、宗教とともにワインが普及されなかった日本では、本格的にワイン醸造が始まったのは1870年頃の明治時代に入ってからのことでした。

文明開化により様々な人々がワイン造りを試みますが、当時のワイン醸造の技術やワインの認知度は低く、ワインビジネスはどれも失敗に終わってしまいました。

1877年、日本初の民間のワイン醸造所が設立され、ここから二人の青年がワイン醸造技術を学びにフランスへ派遣されました。2年間のワイン留学ののち帰国した二人は、勝沼の地でワイン醸造を開始します。

しかしヨーロッパと気候風土が違う日本では、ぶどうの育成は思うように進まず、またワインの味わいもフランスで醸造されたものとは大きくかけ離れていました。

しかもまだまだ日本人のワインへのなじみは薄く、日本食と合わせにくい当時のワインの人気は、世間的にあまり浸透することができませんでした。

昭和の時代に入り徐々に日本の気候風土、土壌に合ったぶどう品種の開発が進み、新潟県から原産地の黒ぶどうの「マスカット・ベリーA」が誕生しました。

その後山梨でもマスカット・ベリーAの栽培が盛んになり、甲州とマスカット・ベリーAを中心に、現在山梨には約80社ほどのワイナリーが存在し、日本を代表するワイン産地として世界的に大きな期待が高まっています。

ぶどうを収穫する男
写真=iStock.com/kaisersosa67
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高級ワインブームからデイリー消費へ

現在、日本はアジアで2番目に大きなワイン消費国であり、世界で6番目に大きな輸入国となりました。

とはいえ、世界第3位のGDPと1億2600万人の人口を誇る日本ですが、ワインの消費量は年間一人あたりわずか3リットル。年間4本弱の少ない消費量となっています。

しかし消費大国の中国やアメリカが欧州ワインの関税を引き上げるなか、日本は安定した市場とされ毎年の輸入量が増加しています。

日本は戦後、高度成長を遂げ、1964年の東京オリンピックや70年の大阪万博でぶどう栽培とワイン醸造が進められました。80年代のバブル期にはロマネコンティや5大シャトーなど、ほぼ全ての高級ワインが日本に輸入されたと言われています。

今でもワインオークション関係者は80年代に輸入された古いロマネコンティなどのお宝が日本に眠っていると信じています。

その後バブルは去ってしまいましたが、90年代半ばには世界的なワインブームを引き起こしたフレンチ・パラドックスやポリフェノール・ブームが訪れました。

フランス人がバター、チーズ、お肉などたくさん食べているのに心臓疾患の発生率が少ないのは赤ワインが原因であると説いた説でした。「フレンチ・パラドックス」によりアメリカでは赤ワインの消費量が44%も増加したと言われます。

日本もポリフェノールの効用が話題となり、赤ワインの人気が高まりました。

そして日本ではチリ、アルゼンチン、オーストラリアなど新興国のワインが注目され、スーパーやコンビニでもお手軽なワインを見かけるようになりました。

それまでは「特別な時に飲む、特別な飲み物」といった存在であったワインですが、徐々に人々の毎日の生活に取り入れられるようになっていきました。