「“一番搾り”という言葉は刺さります」

「おい舟渡、醸造工程で、純度を上げられるところを全部挙げてくれ」

前田は、名古屋工場の醸造技術者だった舟渡知彦にそう命じた。

ビール造りの工程で、開発テーマ「生ビールの純度・ピュアな美味しさ」に関係しそうな部分をピックアップしろ、ということだった。

外部のメンバーにもわかりやすいように、舟渡は自分なりに工夫して資料を作っていった。

ビールは「仕込み」「発酵」「貯蔵(熟成)」「ろ過」という4つの工程を経て造られる。

「仕込み」ではまず麦芽(大麦を発芽させたあと、乾燥させ根を切除したもの)及び米などの副原料を粉砕し、お湯に浸す。すると、麦芽の中の酵素の働きで、麦芽と副原料のデンプンが糖に変わり、やがてお粥状の甘い糖化液(もろみ)が得られる。

もろみはろ過機に移されてろ過されるが、この時に流れ出たものを「一番搾り麦汁(第一麦汁)」と呼ぶ。一番搾り麦汁を搾ったあと、もろみに再度お湯を加え、ろ過したものを「二番搾り麦汁(第二麦汁)」と呼ぶ。通常2つの麦汁は一緒に釜で煮沸され、ホップが加えられて、仕込み工程は終わる。

キリンでは通常、一番搾り麦汁7、二番搾り麦汁3の割合で仕込みを行っていた。

ミーティングで、ビール造りの工程について舟渡が説明していると、社外メンバーの一人が次のように発言した。

「一番搾りという言葉は刺さります。一番搾り麦汁だけを使えば、ピュアな味わいになる気がします」

ただ、工場で醸造技術者をしていた舟渡にとっては、受け入れがたい提案だった。

醸造技術者が“一番搾り”に反対したワケ

「確かに一番搾り麦汁は渋みが少なく、上品ですっきりしています。しかし、一番搾り麦汁だけでビールを造るのは無理です。二番搾り麦汁を加えない分、収量が減ってしまい、間違いなく赤字になります」

舟渡はいつになく早口だった。醸造技術者として、ビール造りを知らない社外メンバーの発言をなんとか否定しようと、ムキになっていたのかもしれない。ただ、一方では「ひょっとしたら」という思いも、舟渡の中にあった。

ビールが苦手という人は、苦みをその理由に挙げることが多い。

ビールが苦くなる原因はホップを使うからだが、麦汁のろ過も一因だ。麦汁をろ過するろ過材には、麦芽の穀皮が使われる。穀皮には渋みや苦みのもととなるタンニンが多く含まれ、これがビールを苦くしてしまう。

一度しかろ過しない一番搾り麦汁だけでビールを造れば、渋みや苦みを減らすことができるだろう。

「一番搾りからはピュアなイメージを受けます」

重ねて発言する社外メンバーに、舟渡は技術的な反論を試みる。

「醸造技術者として申し上げますと、ビールの純度を決定づけるのは、二番搾り麦汁を入れるかどうかではありません。収量を下げて一番搾り麦汁にこだわるより、むしろ最終製品に近いろ過工程の濁度だくど管理を工夫したほうが、純度を上げられると考えます」

しかし、舟渡の反論を聞いても、彼は譲らなかった。

一番搾りは実は“プレミアムビール”だった

一番搾り麦汁だけを使うという発想は、「オリジナリティ」の点で優れていた。過去に前例はなく、ライバル社に類似品を出されにくいことも長所だった。利益を得にくい、難しい商売になるからだ。

そういう贅沢な作りのビールを、「スーパードライ」や「ラガー」と同じ価格で販売すれば、「経済性」の点でも有望そうだった。

おそらく前田もそう評価したのだろう。数日後、前田はニヤニヤしながら舟渡にこう言った。

「君には悪いが、新商品は一番搾り麦汁でいくことにする」

ただ前田も収量の問題については懸念していたようだ。この時点では、サッポロ「ヱビス」と同じく、価格の高いプレミアムビールとしての商品化も視野に入れていた。価格を上げれば、原価の上昇をある程度吸収できる。

だがプレミアムビールでは、「スーパードライ」に対抗するヒット商品となるのは難しい。

前田はその点を懸念し、プレミアムビールのプランと、通常価格で提供するプランの両方を進めていくことにした。商品名はとりあえず「キリン・ジャパン」とした。

「スーパードライのような、カタカナ使いのベタなネーミングで、センスがない」と、舟渡は感じていたという。が、なぜか前田はこの「キリン・ジャパン」という名称を気に入っていたという。

こうして、「一番搾り」という前例のないコンセプトが決められた。しかし、前田をリーダーとする開発チームには、さらなる難関が待ち受けていた。

後編に続く

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