人の数だけうしろめたさや後悔がある
1位「北の国から」(フジ・1981年)清貧に見えるが、実は「家族という呪縛」の物語
朴訥な父親が幼い子供たちを連れ、東京から北海道へ移り住む。決して裕福ではない一家が大自然の厳しさと世間の世知辛さにもまれてゆく。
父親・黒板五郎を演じたのは田中邦衛。幼い息子の純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)を抱えたシングルファザーに、全国民が心を寄せた。そもそも、五郎は妻(いしだあゆみ)に浮気されて離婚したところから始まっているのも強烈だった。
純の父に対する不満やうしろめたさなど、自分事のように見た記憶が。妹の螢が賢くて敏い子なだけに、純の不甲斐なさは際立った。五郎の清貧な生きざまには感動する一方、子供としては嫌だと思った。質実剛健な暮らしは子供にとって地獄だ。そこもきっちり描いたのが作品の長所である。
また、都会へ出た女や都会育ちの女に対する、田舎の残酷な視点も記憶に濃い。五郎の義妹で不倫中の雪子(竹下景子)、札幌で風俗嬢になったつらら(松田美由紀)に対する目線の、まあ厳しいこと。閉鎖的な社会のえげつなさは今も変わらない風景だ。
ただ大自然と清貧を描くだけではない。人の数だけうしろめたさや後悔があり、家族でさえもボタンの掛け違えや記憶の取り違えがある。家族の呪縛を如実に炙り出した作品でもあるのだ。
最近のドラマは清潔すぎるのではないか
平成に入ると、ドラマでは誰もがかっこつけるようになった。うっとり憧れる素敵な職業の善人や正義の人が増え、人々の消費を煽る背景が描かれた。その一方で、人間の悪意がより具現化され、善悪がよりくっきり描かれるようになり、馬鹿でも猿でもわかる構図の定番が蔓延した。
令和では、人と関わりたくない社会不適応者が増えた。人と関わらなくても生きていける時代になったからか。その一方で、真逆の「絆礼賛」という奇麗事も増えた。正義と数の暴力が横行する作品も増え、人物描写の幅が狭まった気もする。
そもそも人間なんて情けなくてみっともなくて恥ずかしい生き物だ。私がドラマから教わったのは「人間なんて目くそ鼻くそ」なので、最近のドラマはちょいと清潔すぎやしないかと思っている。
今回紹介した昭和の名作で、人を許すことや諦めることの「人生の余白」をぜひ体感してほしい。