何より強調すべきなのは、志筑が翻訳によって紹介した無限宇宙論(宇宙は有限ではなく無限の広がりを持つという考え方)は、江漢のような文学的想像力によって空想したものではなく、ニュートン力学に基づいた科学的思考によって提起されたものだということである。
また、「附録」の太陽系形成論では、回転体において遠心力と求心力が拮抗する下での惑星誕生という天体の発現過程を、あたかも実際の場をシミュレーションするがごとく極めてリアルに描いている。議論したり相談したりする同好の人間が誰もいない中での、彼の的を射た考察には頭が下がる思いがする。
江戸時代に「宇宙人があちこちにいる」思想にたどり着いた山片蟠桃
一方、この『暦象新書』の写本を真剣に読み込み、無限宇宙に思いを馳せたのが大坂で大名貸しを営む升屋の番頭である山片蟠桃であった。実は、『暦象新書』は写本でしか出回らなかった上に、せっかくそれを入手しても数理的素養のない者にとっては非常に難解で、理解できた人間は少なかっただろうと想像されている。いくらニュートン力学の「入門書」の翻訳とは言っても、力や速度や運動などという概念に不慣れな人間には歯が立たなかったと思われるからだ。
では、蟠桃はどうかと言えば、おおよそは理解したが、完全に自信は持てないというところではなかったか、と思っている。
そのように私が言う根拠は、以下の点にある。
蟠桃が番頭職の合間合間に学習し思索して、自らの思想を書きとめて集大成した『夢の代』では、その最初に「天文第一」を掲げ、地動説から宇宙論に至る西洋天文学の知見を詳述している。その極めつきが、「宇宙には点々と恒星が分布し、恒星の周りにはさまざまなタイプの惑星が付属し、その惑星には人間が生きている星もたくさんある」という先進的な宇宙像を提示したことである。
実際に宇宙人があちこちに生息しているとする、現在の私たちが抱いている宇宙の描像を当たり前のように図示しているのだ。ところが、そこに行きつく直前の根拠を示す段落では、ほとんど『暦象新書』を丸写しにした文章が並んでいる。つまり、蟠桃は志筑の論を下敷きにして論を立てたのだが、その理解が不十分であるかもしれないと心配して、わざわざ志筑の文章を詳しく引用しているのではないかと想像されるのだ。
蟠桃は、おそるおそる自らの論を提示している風情なのである。自分の文章は多くの人が読むわけではないが、正確を期しておこうと考えたのだろう。とはいうものの、宇宙の至るところに人間が存在するという彼の宇宙論が色褪せるわけではない。
以上のように、江漢・志筑・蟠桃という3人の異なったタイプの人たちが、蘭学隆盛の時代に地動説から無限宇宙論へと想像力を膨らませたのであった。私はこれを「江戸の宇宙論」と呼んでいる。蘭学が移入されて日本において大きく花開き、一瞬とはいえ日本の宇宙論が世界の第一線に躍り出たことを高く評価したいと思う。