PCR検査による「犯人探し」は子育て中の人たちの収入にも暗い影を落とします(注4)。お子さんが無症状でも陽性になると濃厚接触となってしまい(注5)、欠勤せざるをえず死活問題につながります。こどもの「軽微なカゼの流行」で多くの家庭の生活が困窮しています。コロナに過敏すぎです。
冷静に考えてみましょう。重点措置や、学校・保育園の学級(あるいは学年、学校・園全体の)閉鎖は、何のための措置でしょうか。自粛や閉鎖は何を守るために行うのでしょう。「人々を守るため」だと多くの人が答えると思います。
つまり本来は命を守るための手段の1つだったはずです。一方、現在の変異株はさらに命を脅かすものではないものになりました。その理由は、先ほど厚労省などのデータでお示しした通りです。
命を脅かさないウイルスのために自粛と閉鎖で暮らしを脅かしつづけるのは、手段の目的化です。自滅としか言いようがありません。一貫して重点措置を要請しなかった県知事さんもいらっしゃいました。
私がこの「過剰反応」からの離脱を訴え続けている理由はまさにその点です。
過剰反応によって奪われた子供たちの可能性
私のクリニックでも、親子とも元気なのに「陽性者」や「濃厚接触者」ということで家から出られなくなった事例がたくさん発生しています。リモート診察などしたりして済ませましたが、ほとんど無症状あるいは一時的な微熱です。
そんな親子から聞く声は、共通して「なんで元気なのに会社や学校、保育園、幼稚園に行けないのですか?」というものです。私は「何らかの制限が必要なウイルスではすでになくなっているのに、悪しき制度だけが残されています」と答えました。親は、子供が休園になると家でお世話をしなくてはいけません。仮に子供が陽性になれば、親は陰性でも濃厚接触になってしまいます(注5)。
親御さんが収入減とシフトの交代の連絡で心が折れている現状に、私は怒りを覚えました。もともと人々のためになるPCR検査の建前さえも崩れ、人々を苦しめる道具になっています。PCR陽性に過剰反応しつづけていけば、教育と社会は破壊されつづけます。
子供たちに被害を与えていないコロナウイルスによる学校機能の停止は、子供たちの成長を妨げる有害な措置です。教育機関は人間が健やかに成長するために必要な場所です。ひいては国や社会の存亡に関わる場所です。
社会で活躍するみなさんにも、大切な同級生や同窓生がいらっしゃることでしょう。弱毒コロナウイルスで、次世代の人々の大切な機会を奪うことは避けるべきです。