親を恨んでいるわけではない

33歳で製造業の仕事を辞め、現在は関東に移り住み、給料から積み立ててきた蓄えで生計を立てている。将来は動画制作やネットを活用したフリーランスワーカーとして稼げるようになるのが目標だが、「うまくいかなければ非正規の仕事をしながらでも動画制作は続けていきたい」と話す。

13〜23歳までの約10年間ひきこもりを続けた山添さんだが、自力で抜け出すことができたことが、当然ながら大きなターニングポイントとなった。

「私は相当重度のひきこもりだったと思います。早朝に犬と散歩したり、トイレや風呂、食事をとりに行く以外は全く部屋から出ませんでした。当時は自殺をしようと思って何度もチャレンジしていましたが、どうしても怖くて死ぬことができない。なら生きるしかないと思い、仕方なく社会復帰を目指しました。孤独で不安で怖くてみじめで押しつぶされそうで最低最悪な気分でしたが、両親も兄たちも学校の先生も、全く誰も助けてくれない。だったら自分でどうにかするしかないと自分を追い込むような形で、どうにか一歩を踏み出しました」

最初の一歩はとても勇気が必要だったに違いない。山添さんは23歳ごろにその一歩を踏み出し、25歳頃に家を出た。そして家族との関係性は自然とフェードアウトしていった。

「だからといって親を恨んでいるわけではないです。食べるものもパソコンも与えてくれた。NPOに参加する交通費や運転免許取得費用なんかも出してくれました。感謝しています。でも、そう思えるようになったのは、ひとりでも生きていけると思えるようになれたから。それまで自分は不幸だと思っていたし、不幸の原因は両親が私を虐待したり放置したりしたからだと強く恨んでいました」

山添さんは社会に出てしばらくは、自分がいじめられていたこと、ひきこもっていたことを隠してきた。知られたらまたいじめられるかもしれないという恐怖心とともに、「恥ずかしい」という思いもあったからだという。

月明かりのハウス
写真=iStock.com/urbancow
※写真はイメージです

「両親は、ひきこもりの息子がいることを世間に知られることが『恥ずかしい』と思っていたと思います。そうでなければ、専門機関などに相談したりして、何らかの対応をしたはず。でも、ずっと放置されていました。私自身にも家族に対する羞恥心はあって、身勝手な彼らのことを世間に知られたくないという気持ちがありました。いじめられてひきこもってしまった弱く不甲斐ない自分に対する羞恥心も強かったです」

誰かに相談し、助けを求めることができたら、山添さんはひきこもらずにすんだかもしれない。だが、山添さん自身も声をあげることができなかった。

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

山添さんの両親や兄たちは、家族がピンチに陥っても見て見ぬふりする「短絡的思考」に陥っていた。だから、外部に山添さんのひきこもりやいじめを知られまいとして隠匿し、山添さん自身も、ひきこもることで社会から「断絶・孤立」する。そして山添家全員に、世間に対する「羞恥心」があった。

山添家のタブーを破ったのは、他でもない山添さん自身だった。「生きるしかない」「自分でどうにかするしかない」と自らを追い込み、勇気を振り絞って自室を出たのだ。