小学生時代に受けたいじめが原因で不登校になった男性は、「なぜ学校に行かないのか」と親の理解も一切得られず暴力を受け、13~23歳まで自室に完全にひきこもった。その間、生きる希望を見いだせず、自殺未遂も繰り返した。だが、38歳になった男性は自立し世界中に友人がいる。どのように自室から抜け出たのか――。
部屋の隅で頭を抱えて座り込む男性
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前編の概要
関西地方出身の山添博之さん(現在38歳)は、公務員の父親と、園芸用品店を経営する母親のもとに三男として誕生。小5の冬、同級生たちからいじめられるようになる。体は常にアザだらけで、小6時には不登校に。すると、父親は殴る蹴るの暴力を振るい、それまでやさしかった母親も「お前に食べさせるものはない!」と食卓から排除し、夜中に「死ね!」と言いながら首を締めてくる。中2からは自室にこもり始めたが、両親も2人の兄も学校の先生も、助けてくれない。高校には入学したものの3年で中退した後は、長いひきこもり期間に突入した――。

精神科の受診、NPOへの参加

高校3年時に中退してから、本格的にひきこもり生活となった山添博之さん(現在38歳)。小5生の時に同級生からいじめを受けたのを契機に不登校になると、親から虐待されて生きる希望を見いだせなくなり、何度も自殺を試みたが、怖くて死ねない。

「何度挑戦しても死ねないなら、社会に出ていくしかない」

そう思えたのは、23歳ごろのことだった。

自室にこもるようになった中2(13歳)から23歳までの約10年間、両親や兄弟、同級生らとほとんど話をしていないことや、小学校でのいじめによる対人恐怖がひどかったため、まずは精神科を受診するのが順当ではないかと自ら判断。精神科にかかるための費用を親に出してもらいたいという旨のメッセージを紙に書いて食卓に置いた。

ところが、山添さんがかかった精神科の医師は、数分話を聞いただけで、向精神薬や睡眠薬を処方。最初は出されるままに飲んでいたが、頭痛、吐き気、喉の乾きやめまいなどの副作用がひどい状態に。しかし、自己判断でやめれば、離脱症状に悩まされ、もっとつらくなる。

「おそらく抗不安剤や睡眠導入剤の依存症となっていたのだと思います。副作用がつらい。でも飲まないともっとつらい状態になるから、飲み続けるしかない。八方塞がり状態になっていました。でも2年ほどして、自分の判断で断薬しました。最初はとてもつらく、毎日ほとんど眠れず、強い不安に支配され、頭が常にボーとしていましたが、徐々にそういった禁断症状のようなものも消えていきました」

その後、社会復帰を目指すため、ひきこもりの人に居場所を提供するNPOを自分で見つけて参加。NPOではカードゲームをしたり、公園を散歩したり、掃除のボランティア活動をしたりして過ごした。

「当時は身近にひきこもり向けの居場所がなく、県を1つ超えて通っていました。結局私は、あいさつ程度の会話をするのが精いっぱいで、そこで友だちや人間関係を作ることはできませんでしたが、人がいる場所に慣れるという意味ではいい練習になったと思っています」

同じ時期、高卒認定試験を受け合格。人がいる場所に慣れてきた頃から自動車教習所に通い、介護初任者研修を受け、運転免許とホームヘルパー2級の資格を取得。24歳ごろからは、ハローワークから紹介された介護施設で働き始めた。