「成功者」は目立つが、社会の圧倒的大多数は「名もなき人々」

おそらく大半の人は、人生において成功体験よりも挫折体験や残念な体験をすることのほうが多いだろう。しかし、メディアやSNSで脚光を浴びるような人物は、基本的には成功した者ばかりだ。彼らは往々にして成功体験ばかりを語りたがるし、挫折体験を語るにしても「これをバネにして奮起し、いまの成功を勝ち得ました」と結局、武勇伝や自慢話につなげてしまう。

そんな成功者の話に触れて「私もこの人のようにならなければ」とか「立派なこの人に比べて、自分はなんて情けないのだろう」、「港区にあるタワマンの高層階に住み、青山に仕事場を構え、芸能人とも交流があるなんてスゴイ」などと引け目や焦りを感じてしまう向きもあるかもしれない。だが、世の中はメディアが取り上げるような成功者ばかりで構成されているわけではない。むしろ圧倒的大多数は、日々、粛々と自分の仕事に取り組む、名もなき人々なのだ。

それに地方で暮らしてみると、地元で堅実に働いて信頼を集め、地場のコミュニティで確たる尊敬と立場を獲得している人物がいることに気づかされる。彼らは東京や大阪といった大都市圏でわかりやすい成功を収めているわけではないし、メディアに登場して全国区で顔を知られているわけでもない。しかし、充実した毎日を送り、幸せそうに人生を謳歌している。広く知られていないだけで、それなりに高い年収を得ている人も少なくない。成功することがすべてではないが、そうした人生だって十分成功に値するのではないか。

一度、地方で暮らしてみるのも悪くない

うさんくさい商売で無知な人々からカネを巻き上げているようなやからはさておき、そもそも仕事なんてものは、地味で面倒な業務の積み重ねでしかない。目の前にある仕事に誠実に取り組み、少しずつ実績を積んでいく。本当の意味で実りある人生、穏やかな人生を望むのであれば、それしか方法はないと私は考えている。

東京のような大都市圏に多い“意識が高い”人々は、メディアやSNSで耳目を集める著名人や成功者の言説にいちいち影響されて、そこに到達できなければ「オレは負け組だ」「私はなんて無能なのか」などとコンプレックスを募らせる。

しかしながら、日本各地の暮らしに目を向けてみると「とにかくがむしゃらにやってきたら、いま、そこそこ幸せな生活が営めるようになったな」「大都会の成功者みたいな派手な毎日ではないけど、それなりに充実しているよね」なんて人も多いだろう。しっかりと地に足をつけて、いい意味で身の丈に合った暮らしを実践しながら、日常の幸せを感じているように私の目には映る。

唐津で暮らすようになって、そうした生きざまがあることを改めて学び、人生の機微についてより理解を深められた。これは私にとって、拠点を移したことの最大の収穫であったと考えている。「夢」に破れた感覚を持っている人、鼻息荒く「成功」を追い求めるような暮らしに疲れてしまった人は、一度地方で生活してみるといい。「夢」や「成功」なんかよりも、地に足をつけて「現実」を見すえながら粛々と生きることがどれほど大事か、肌感覚でわかることだろう。水が合えばそのまま地方で暮らしていくのもいいし、合わなければまた大都市に戻ればいいではないか。

仕事のこと、家族のこと、子どものことなどが絡んで、いまの生活が容易に変えられなかったり、身軽に動けなかったりする人も多いとは思う。でも、人生の選択のひとつとして「地方での暮らし」というカードも隠し持っておくのは、決して悪いことではない。

【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・地方で暮らすようになって知ったのは、現地の人々の「地に足のついた」暮らしぶりだ。
・成功者の語る成功だけが、豊かな人生というわけではない。また、大多数の人は地味な日常を送りながら、粛々と仕事に取り組んでいる。そうして、この社会は成り立っている。
・地方で暮らしてみると、そうした市井の人々の暮らしの尊さや機微が見えてくる。また、身の丈にあった生活のなかにある幸せにも気付けると思う。
・大都市での生活に疲れたり、理想と現実のギャップに悩まされたりしたときは、一度地方で生活してみるのも悪くない。
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