虐待は魂を殺すもの
緑川さんは8~14歳の7年もの間、母親や継父から虐待されていた。だが、偶然虐待の痕跡に気づいた中学の担任教師のほかに、自ら救いを求めることはなかった。なぜだろうか。
それは、「家庭という密室」での出来事がタブーのようになった結果だと筆者は考えている。長年取材していて気付くのは、この「家庭のタブー」が発生するとき、「短絡的思考」「孤立」「羞恥心」の3条件が揃っている場合が多いということだ。
緑川さんの場合、子どもだった緑川さん自身に選択権はなかったが、離婚していない曖昧な関係にもかかわらず、妹を妊娠した母親、そして離婚していないにもかかわらず緑川さんたちを受け入れ、さらに妹までもうけた継父は「短絡的思考」に陥っていた。
妹が生まれ、母親が家事をしなくなり、緑川さんが家政婦のようになったとき、「孤立」が進展。小学校の授業が終わるとすぐに帰宅させられ、クラスメイトや友だちと関わる機会を奪われた。
そして「羞恥心」。これは、虐待を隠す行為からも、母親や継父に見受けられるのはもちろんだが、緑川さん自身にもあったのではないだろうか。
「ありましたよ。それはもう恥ずかしくて嫌でした。『虐待されているから助けて!』と外の人に言うことは、『私の親は、自分の子どもの面倒さえみれない親なんです』と言うことと同義であり、『私は虐待する親といます』って暴露することは、惨めで恥ずかしいことでした。『こんな親元で育って恥ずかしい』です。母に至っては、存在すら恥ずかしい。いなくなってほしいとすら思います」
虐待されていた頃、子どもであった緑川さんでさえ、「羞恥心」を感じていたのだ。ここに、タブーが生じた家庭を救うヒントが隠されていないだろうか。
現在、緑川さんは、「みどりゆめ子」という名前でTwitterを利用し、「子どもの頃に虐待を受けた人が大人になってまでも苦しまないよう、虐待とはどれだけ人を傷つけ、苦しめ、人生を壊すのか。虐待サバイバーの感じていることはどんなことなのか」を発信し続けている。
Twitter上では、「虐待されて育ったのに、子どもを産んだの?」と言われたこともあるという。しかし緑川さんは、「虐待の連鎖は止められる」と訴えている。
「虐待は、“必ず連鎖するもの”ではありません。むしろ、虐待された自覚のない人や、虐待をしつけだと言われて鵜呑みにした人が大人になって子どもを持ち、虐待してしまう傾向にあるのではないかと感じています。もし、『自分は虐待されて育ったかも?』と気付いていたら、違ったかもしれない。だからこそ、“虐待サバイバー”という存在を、多くの人に知ってもらいたいと思っています」
緑川さんは、「どんなことをされたら虐待なのか」「虐待サバイバーは大人になった今、どんなことに苦しんでいるのか」を知ってもらうことは、救いの手を増やすことにつながると信じて、自らの経験や考えを発信。その行動は、筆者のこの連載趣旨に通じる。
「殺人が命を殺すものなら、虐待は魂を殺すものです。その人がその人らしく生きられるはずだった未来全てを奪うものです。子どもにとって親は絶対的な存在であり、大好きな存在。その親から受ける虐待の傷は計り知れないということを、忘れないでください」
一児の母としても、1つでも多くの「家庭のタブー」が破られ、虐待で苦しむ子どもが一人でも減ることを願ってやまない。