「犬以下」と罵倒された継父が「ワンワン!」と一人吠える姿を見た
継父は脳梗塞により、60歳で亡くなったと、現在も時々会う70代の祖母から聞いた。
緑川さんが中学生になった頃、母親と継父はケンカが増え、母親が継父に「お前は犬以下の低能だ!」などと暴言を吐くことが頻繁になった。そのため継父は気がへんになったのか、「ワンワン!」と一人で吠えている姿を、緑川さんは何度も見たという。
「継父に対しては、私への虐待行為は許せませんが、同時に被害者でもあると思うと、半ば諦めのような気持ちです。継父は、私が20歳頃から罪滅ぼしのつもりか、時々お金の援助をしてくれていました。総額50万円ほどもらいましたが、虐待分の慰謝料としては安いかなと思います」
緑川さんの壮絶な経験を聞きながら、筆者はこう考えていた。母親は、一刻も早く継父と妻とが離婚して自分と結婚してほしいあまり、継父の機嫌を取るために娘(緑川さん)の虐待に走ったのはないか、と。その点については、緑川さんはどう思っていたのか。
「恐らく母は孤独だったのでしょうね。継父とは事実婚のようなものだったので、母は継父に妻がいることを承知の上で妹を作り、認知してもらい、同居していたようですが、何度か『そろそろちゃんとしてよ』と継父に言っていたのは、『離婚してよ』ということだったのでしょう。寂しさと、結婚したい男との子どもを思う余りの歪んだ愛情、その果てに、私の存在が邪魔だという気持ちが芽生えたのではないかと推測しています」
緑川さんの言うように、最初は孤独感や寂しさ、「裕福な継父と早く結婚したい」「安定した暮らしをしたい」という欲や焦りから、妹を作ったのかもしれない。しかし一向に継父は離婚をしない。思うようにならない憤りが幼い緑川さんに向かい、やがて継父本人へもぶつけられるようになったのだろう。
そして、継父が緑川さんを虐待するようになったのは、自分がなかなか離婚できないせいでイライラする母親から加えられるストレスによるものが大きかったのではないだろうか。
「妹だけは心配です。母と上手くやれているだろうか? 恐らく妹は妹で過保護に育てられていたので、苦労しているのではないかと……」
母親と継父は、妹の前では虐待をしなかった。「ねね、またお父さんに怒られたの?」と言われたことはあったが、「大丈夫だよ、ちょっと間違えたことがあって、怒られちゃった」と笑顔で返したという。
「妹には甘い母と何でも言いなりな継父のもと、妹はお姫様のように育てられましたから、その裏で姉が虐待を受けていたとは、当時はさすがに思っていなかったでしょう。今はその異常さに気付いているかもしれませんが……」