トイレの水を飲まされたり、正座をした膝の上に重りを載せられたり

この頃は、母親はもちろん、継父からの暴力もすさまじくエスカレートしていた。痛くて座れなくなるほどお尻を強く蹴り上げられたり、トイレの水を飲まされたり、正座をした膝の上に重りを載せられたりしていたことを、全て担任に話した。

日本様式便器
写真=iStock.com/Ratchat
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やがて、担任からの通告により、児童相談所の職員が何度か自宅にやってきた。だが、母親は虐待の事実を頑なに否定。何度目かの訪問で、緑川さんは何とか玄関先で職員と面会することができたが、事前に母親から、「下手なことを言ったら、覚えておけよ!」と釘を刺され、家の中で聞き耳を立てている母親が怖かったため、事実を話すことはできなかった。

また、同じ頃、母親と継父の罵声や緑川さんの悲鳴が尋常ではなかったのだろう。近所の人から「子どもの泣き叫ぶ声がする」と、何度か警察に通報されていた。

しかし、家に来た警官たちに継父が、「言うことを聞かないので、体罰です」と言い切ると、驚くことに警官たちは「ほどほどにしてくださいね」と言い、その場にいた緑川さんに対しても、「反抗期なのかもしれないけど、キチンとご両親の言うことを聞いてね」と諭して終了。

むしろ、児相や警察が来てからというもの、母親と継父は外部に緑川さんの泣き声や悲鳴が漏れないよう、警戒するようになった。虐待行為をする前に、窓や雨戸を閉めたり、緑川さんに猿ぐつわを噛ませたりしてから暴力を始めるのだ。

さらに、傷跡やあざなどが残りにくい、長時間の正座をさせられるようになったのも、この頃から。正座をさせる際、膝の内側に棒を挟む拷問と同じ方法を取られるようになり、それ以降、緑川さんは膝が悪くなり、現在も後遺症に苦しんでいるという。

「担任の先生がせっかく児童相談所に連絡してくれて、児相の職員たちは私から話せる機会を設けてはくれましたが、自宅では母が怖くて何も言えませんでした。せめて、場所を考えてほしかったです。警察は、私の話を少しも聞こうとはしてくれませんでした。当時の私は、『なぜ誰も助けてくれないんだろう?』と思っていました」