夫「自分たちが九州へ帰って、母の面倒を見てあげたい」」
近藤さんは、九州に帰省してからのことを、夫や義妹に逐一報告していた。しかし義妹は、「九州に帰るつもりはない、もし母の面倒を見るのであれば、こちらに連れてくる」と。
夫は、「最期まで家で見てあげたい。妹が帰らないのであれば、自分たち夫婦が帰って、母の面倒を見てあげたい」と言う。
身近でサポートしている近藤さんは、通院するにも買物するにも、車がないと生活できない地域に暮らす義母に車の運転をやめさせるためには、「義母の足代わりになる誰かが近くにいる必要がある」と、常々思っていた。
結局、近藤さんは、10月中ずっと実家に滞在し、義母の通い介護を継続。11月になると、息子を義母宅に預け、4日間だけ関東に帰り、荷物をまとめた。夫と義妹との話し合いの結果、近藤さん夫婦が九州へ移住することに決まったのだ。
近藤さんは義実家から徒歩圏内にアパートを借り、そこから通いで介護をすることに。そして12月。夫の転勤願いが通り、関東から移住。親子3人での九州暮らしが始まった。
ちょうど義母の車の保険が切れる月だったので、「この車は古くてもう乗れなくなるんだって」と夫が話をして、車を処分。
介護認定調査の結果、義母は要介護1と認定され、デイサービスを週に2回、夕食作りのためにヘルパーを週に2回利用し始めた。
介護サービスを使えるようになり、多少は楽になった近藤さん。2歳になったばかりの子供と、中等度のアルツハイマー型認知症である義母のダブルケアは、文字通り、目の回るような忙しさだった。しかし長崎さんには、どうしても諦められないことがあった。それは、2人目の出産だった。(以下、後編へ続く)。