悠仁さまの即位拒否も「決してあり得ないとは言えません」
週刊新潮(1月20日号)で麗澤大学の八木秀次教授がこういっている。
「“開かれた皇室”という風潮には、スマホやSNSの普及も大きく影響しています。この数年で、誰でも気軽に意見ができるようになり、皇室が身近なものになり過ぎてしまいました。畏れる存在という意識が、世間からなくなりつつあるように感じます。そんな中で眞子さんは“私”を通したわけですが、皇室においてもっぱら個人のご意思が尊重されるような流れが定着してしまえば、これに続いて先々、悠仁さまが“天皇になりたくありません”と即位を拒否なさるようなことも、決してあり得ないとは言えません」
自民党の保守派も今回の有識者たちも、仮にそうなったとしても、まだ先のことだと考えているのかもしれないが、大正天皇のときは、悠仁さんと同じ15歳で「お妃選び」が始まっていたそうだ。
皇太子が結婚したのは33歳だったが、秋篠宮は24歳だったから、残された時間は少ないのに、有識者会議の報告書にはその危機感が感じられない。
小泉政権時代の女性・女系天皇容認論は深まらず…
悠仁さんにかかる負担を少しでも軽くするためにも、愛子天皇の実現が急務だと思う。伝え聞くところによると、上皇も愛子天皇を望んでいるといわれる。だが、そのためには皇室典範の改正がなされなければならない。
1947年に現在の皇室典範は制定された。そこでは明治の皇室典範にあった正妻以外の女性(側室)の子どもやその子孫であっても皇位継承を認めるとしていたのが、当然ながら外された。だが、継承資格の「男系男子」という縛りは残してしまったため、現在のような後継問題が常に付きまとうのである。
この問題を解決しようと動いたのは小泉純一郎首相(当時)だった。彼が設置した「皇室典範に関する有識者会議」が提出した報告書には、全員が一致したとして、こう書かれている。
「今後における皇位継承資格については、女子や女系の皇族に拡大することが適当である」
これが通っていれば、今のような事態は起きていない。だが、この報告書が出た直後に、秋篠宮紀子さんの懐妊をNHKが報道し、9月に悠仁さんが誕生した。
そのために改正案を国会へ提出することを見送ったのである。小泉の後に首相に就いた安倍氏がこの問題に手を付けることはなかった。