女性の推古天皇が「最初の天皇」だった?

保守派が常に振りかざす「天皇は万世一系」という言葉も、多くの歴史研究家たちから疑問が投げかけられているようだが、それはさておき、千数百年、125代という皇位継承の歴史の中には、10代、8人の女性天皇が登場することはよく知られている。

私のような無学な者でも、神話の中で頂点に君臨した最高神は“太陽の女神”である天照大御神で、伊勢神宮に祀られ、歴代天皇が崇拝していることは知っている。

中でも推古天皇は、強いリーダーシップを持っていたという。

女性天皇の成立』(幻冬舎新書)を上梓した皇室研究家の高森明勅氏によると、「現在にまでつながる『天皇』という君主の称号が、この天皇の時代に成立した事実だ。これは、日本の歴史上、すこぶる重大な意義をもつ“飛躍”だ。推古天皇は厳密な意味で『最初の天皇』だった」可能性が高いというのである。

雑誌『青鞜』の創刊号に寄せた平塚らいてうの言葉、

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である」を思い起こす。

さらに高森氏は、日本という国号の制定は689年で、持統天皇の即位は翌年だから、最初の天皇も、“日本初”の天皇も「女性」だった可能性が高いといっている。

皇室典範はさっさと改正すべき

また高森氏は、第44代の元正天皇は女系天皇だったと指摘している。父親が草壁皇子で天武天皇につながるから「男系天皇」といわれているが、母親は元明天皇だから「女帝の子」、当時の「大宝令」に照らし合わせて、女系天皇とされていたことに疑問はないといっている。

さまざまな解釈はあるにせよ、天皇の歴史において、中継ぎではない実力派の女性天皇が幾人も現れてきたことは間違いないようだ。

シナ(中国)や韓国と違って、日本では古代、女性が比較的高い地位を認められていたようだと高森氏はいう。

日本の美
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さらに付け加えれば、『天皇はなぜ生き残ったか』などの著作がある東京大学史料編纂所の本郷和人教授は、

「江戸末期になるまで、ほとんどの庶民は『天皇』という存在すら知りませんでした。それ以降、本居宣長らをはじめ国学が興ったことで、古事記などを読んだ人々が天皇を再発見したのです。“日本人とは何なのか”というアイデンティティ確立の過程で、庶民の側から天皇を“見つけた”わけです」(週刊新潮1月13日号)

庶民が天皇を発見した江戸時代は男尊女卑が激しい時代で、「男児が生まれなければお家断絶・取り潰し」が行われていたが、そんな時代に明正天皇と後桜町天皇という2人の女性天皇がいたことは驚きである。

それなのに男女平等といわれる現代で、天皇だけが男でなければいけないなどとする皇室典範はさっさと改正すべきこというまでもない。

政治家たちの自分勝手な思い込みで、皇室典範の改正を遅らせ、安定的な皇位継承の方策を遅延させることは批判されてしかるべきである。