自分を変えてくれた糸井重里さんの言葉

私は、学校に行かなくなったとき、この先どうやって生きていけばいいかわからない、どんな大人になるのかもわからない、と不安で悩んでいました。その気持ちを親に言うこともできませんでした。

私の場合は、フリースクールの友だちやスタッフにそういった気持ちを話しました。幸いにも、不登校新聞社のボランティア記者として、著名人の方をはじめ、たくさんの方に会う機会に恵まれ、「どうやって生きていけばいいのかわからない」という疑問をぶつけることができました。そして、たくさんの方から心にしみる答えをいただきました。

石井志昂『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ新書)
石井志昂『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ新書)

とても心に残っているのは、糸井重里さんの言葉です。糸井さんを取材したとき、「せっかく不登校をしたんだから、不登校を楽しんだらいいと思うよ」と言ってくれました。不登校で苦しんでいた私はこの言葉に支えられ、自分の生きていく方向がはっきりと見えた気がしました。

不登校新聞社の記者になろうと決意し、入社を申し込んだのは、糸井さんを取材して、とても感動したことがきっかけです。不登校新聞社としては、そのときスタッフを募集していたわけではないので、私の申し出に驚いたようですが、たまたま欠員が出たので入社させてもらい、今に至ります。

入社が決まったときは、親より先に糸井さんに報告して「高く、広く、深く翔んでいってください」というお返事をいただきました。

不登校の経験はいつか自分の財産になる

その後は、結婚して、パートナーとともに人生を歩んでいます。『不登校新聞』の取材を通して、さまざまな出会いもありました。

生きていれば、つらいことは誰にでも起こります。つらい思いをしている人の話に耳を傾け、その人を支えることができたと感じるとき、不登校の経験は自分の財産になっていると実感します。

そしてまた、私が苦しいときには、「あのときたくさん話を聞いてもらって、支えてもらったから」と言って、私の話に耳を傾け、支えてくれる人がいます。

不登校で葛藤し、どうやって生きていけばいいのか悩み、積み上げてきたものは、他者を救うこともできるし、自分のことも救ってくれる。今はそんなふうに思っています。

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