石油の埋蔵が報告されてから尖閣諸島問題が始まった

台湾有事が日本有事であるのには、もう一つ理由がある。中国は、尖閣諸島を台湾の一部と主張している。日米同盟が台湾に注力することを避け、その注意をそらし、勢力を割くために、台湾有事と同時に尖閣奪取を試みることは十分あり得る話である。台湾有事には台湾のみならず尖閣も同時に侵略される恐れがある。そうなれば直ちに日本有事になる。

尖閣諸島は、1969年に国連機関が周辺海域に石油が埋蔵されていると報告書に書いてからがぜん注目を集め始めた。その頃から台湾と中国が領有権を主張し始めた。油が出るから問題になり始めたのである。

中国、台湾のいずれも、それ以前には尖閣など名前も場所も知らなかったであろう。実際、1960年代までの中国人民解放軍海軍作成の地図にも、日本領として「尖閣諸島」がはっきり書き込まれている。その一冊が虎ノ門にある内閣府の領土主権展示館に展示してある。

サンフランシスコ講和会議には中国も台湾も呼ばれなかったが、そこで尖閣は台湾の一部ではなく沖縄の一部と明瞭に認識され、日本独立後は沖縄の一部として沖縄駐留米軍の施政下に入った。サンフランシスコ講和会議後、中国も、台湾も、長い間、このような尖閣の扱いについて、全く文句を言わなかった。尖閣を日本領と考えていたからである。

尖閣諸島が問題となった時点の中国は惨めだった。毛沢東の大躍進と文化大革命で数千万人を死に追いやった中国の経済は極度に疲弊し、また毛沢東はソ連とのダマンスキー島での軍事衝突でブレジネフを怒らせて震え上がっていた。

1970年代前半の日中国交正常化の折、周恩来首相は訪中した田中角栄総理に対して、兎に角「一気呵成かせい」に国交を正常化したいと述べて、尖閣など油が出て急に問題になった、油が出なければ誰も気に留めないのに、などと率直に話していたのである。日本は、この外交文書を全て公開している。

尖閣諸島の周辺に漁船団を送り込み、「領土問題」を作り出した

毛沢東の死んだ1970年代後半には、鄧小平が実権を握っていた。超絶した独裁者であった毛沢東と異なり、小粒な鄧小平は李鵬等のごりごりの保守派と自らが重用した胡耀邦や趙紫陽といった改革開放派のバランスを取らねばならない調整型のリーダーだった。

兼原信克『日本の対中大戦略』(PHP新書)
兼原信克『日本の対中大戦略』(PHP新書)

鄧小平は、毛沢東を代弁した周恩来のように「油が出たから問題になっているだけだ。尖閣の話はしない」と公に言い切る力はなかった。保守派にも秋波を送らざるを得ない鄧小平は、福田総理との会談後の記者会見で、「尖閣問題の解決は次の世代に棚上げの合意をした」と嘘をつかざるを得なかった。福田総理は、鄧小平が尖閣の話をしたくないというのを聞き流しただけである。

日本政府の立場は一貫して「尖閣を巡る領土問題は存在しない」というものである。突然「油が出る島は自分の島だ」と中国に言われても困る。尖閣は、以前に一度も中国が領有を主張したことのない島である。存在しない領土問題を棚上げすることはできない。業を煮やした鄧小平は、日中平和友好条約締結直前に、尖閣周辺海域に数百隻の漁船団を送り込んだ。

おそらく民兵だったのであろう。物理的に「領土紛争」を作り出そうとしたのではないだろうか。

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