自分を信じられなくなり、自分を嫌いになってしまうこと。
それは、無自覚に起きることです。何より怖いことだと、ぼくは思います。
多くの人の言葉に流されて、安易に自分をごまかさないこと。自分固有のものごとの感じ方考え方を信じること。漱石は自らの心の底にある想いをつかみ出すことで、自分の人生を歩み始めたのでした。
個人主義を再考する意味――「自分を持つ」ために
さて、漱石が「個人主義」に目覚めた時代から一世紀あまり。
この間、明治の開国以降、日本はある意味、「追いつけ追い越せ」という精神でがんばることが、つねに奨励される歴史だったと言えるでしょう。そして、そこには、「みんな」が一様にがんばる「集団主義」もありました。
第二次大戦の敗戦など、大きな歴史的な反省を迫られることもありましたが、いつも、どこかしら、「みんな」で一体となってがんばることがよしとされる空気がずっと基本にあって、ここまで来たように感じます。
個の軽視、目指される効率的な解決など、結果を急ぐがゆえの集団主義は、「同調圧力」と言われる空気となって深く浸透し続け、残念ながら、いまもその土壌は変わらないものがあります。
もちろん、長い歴史の中では、「個性」の大事さが叫ばれたり、教育のうえでも「ゆとり」が必要だと言われたりすることもありましたが、本来の意味での「多様な個」が尊重される方向への転換は、学校でも職場でも、あまりうまく進められているとは言えないようです。
「個性が大事だ」「多様性が大事だ」と言われても、どこかそのかけ声自体が同じように聞こえてきて、なんとなくおかしいなと感じている人もいるのではないでしょうか。
そんなあなたに、ちょっとだけ立ち止まって、本書『14歳からの個人主義』を手に取ってみてほしいのです。自らを失うことなく、社会と対話しながら、伸びやかに生きていくために。
あなたにとっての「個人主義」の始まりです。