しかし、そうしてがんばったことで生存競争から解放されたはずの社会で、人々は本当に豊かになったのか? 漱石は人々に問いかけ、機械による効率化ばかりに目が向けられ、ゆとりを無くしていく当時の社会の状況をこう表現したのです。

今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかという競争になってしまったのであります。(中略)現代日本の開化は皮相ひそう上滑うわすべりの開化であるという事に帰着するのである。
(『現代日本の開化』夏目漱石、太字は筆者)

「生きるか 生きるか」

コロナの中での「生命か 経済か」も、現代の「生きるか 生きるか」、または「経済か 経済か」という同じ言葉の繰り返し、同語反復に聞こえたと言ったら、言い過ぎでしょうか? 効率化を目指す経済の論理でものごとを捉えることが日常化してしまい、数字で表されることばかりが重要と思われがちな現代社会。

人が生きていく上で、本当に大切なことは何か? さまざまな価値観を持つ人々が行き交う社会は、どうあるべきなのか?

大きな視野で捉え、進行中の事態の中でも人間として考えるべき本質に目を凝らしたなら当然見えるはずの重要なことが、いつの間にかどこかに抜け落ちてしまうのです。そして結果、科学的な認識がむしろ軽視され、立ち止まって考える余裕も失われ、根本にあるべき生きる上で大事な理念がないがしろにされていく状況は実に皮肉です。

漱石の深い嘆きから一世紀あまり経っても、ぼくらはいまだに、残念ながら「生きるか 生きるか」の時代を生きているということなのかもしれません。

文豪・夏目漱石の葛藤

急激な変化の時代に違和感と葛藤を抱えていた漱石ですが、自らの進むべき道にも悩んでいました。

私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、と言って何をして好いか少しも見当が付かない。私は丁度ちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ちすくんでしまったのです。(中略)あたかもふくろの中に詰められて出る事の出来ない人のような気持ちがするのです。私は私の手にただ一本のきりさえあれば何処か一カ所突き破ってみせるのだがと、焦燥あせり抜いたのですが、生憎あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるのだろうと思って、人知れず陰鬱いんうつな日を送ったのであります。
(『私の個人主義』夏目漱石)

日本の近代化のために、イギリスで英文学を学ぶことになった漱石は大いに悩みます。国の期待を背負って留学し、かつての大英帝国の文化、社会、風土を知れば知るほどに、ある大きなジレンマに気がついてしまうのです。