旧桑名藩士の無念の思い

慶喜を囲む昔夢会の場には、旧桑名藩士で漢学者の江間政発という人物も加わっていた。

伝記編纂に必要な史料の収集にあたった江間は、松平容保(会津藩主)と定敬(容保の弟、桑名藩主)を同行させて大坂城を脱出したことを話題に出し、2人をひそかに大坂城中から連れ出した理由を直接尋ねている。慶喜は次のように答えた。

「あれは残しておけば始まる」。

自分が大坂城を脱出しても2人を城中に残してしまえば、徳川方は2人を奉じて徹底抗戦するとみたのだ。戦意を喪失した慶喜は何としても戦いを終わらせたかった。

江間は「実に危ないところであります」と感想を述べているが、慶喜に置き去りにされた桑名藩士にしてみると、心中、実に複雑な心境であったことは想像に難くない。

「なぜ、あの時江戸に帰られたのか。残念だと定敬に申したところ、慶喜公がちょっと来いとおっしゃったので御供した」という話も慶喜の前で江間は披露した。

「慶喜公が戦えとおっしゃれば薩長両藩を叩き破ってしまうことなど何でもなかったのです」とまで発言している。痛烈な皮肉であった。

一連の江間の発言に対し、慶喜は沈黙したままだった。バツが悪かったのだろう。

坂本龍馬も慶喜の名誉回復に一役買った

慶喜が編纂員たちからの質問に対し、自分に都合の悪いことは沈黙したり、あるいはのらりくらりと答えたりしていることが『昔夢会筆記』の速記録からは読み取れる。

速記者を入れることに難色を示したのも、都合の悪いことが記録されるのを危惧したからだった。

こうした過程を経て『徳川慶喜公伝』は編纂されたが、慶喜に配慮した記述も少なくなかったのが特徴である。当然と言えなくもないが、慶喜の代名詞でもあった大政奉還については、「公の勇決と竜馬の赤心」という見出しのもと以下のエピソードを紹介する。

慶喜が大政を奉還したとのしらせを受けた坂本龍馬は感激した。その時、傍らにいた土佐藩士中島信行に向かい、自分は誓って慶喜のために一命を捨てると言った。

この話を紹介した上で、慶喜の勇気ある決断と龍馬の偽りない赤心せきしんは、ともに歴史を飾るべき美談と結んだ。

龍馬が言ったという言葉を使いながら、慶喜の偉業をたたえている。慶喜の名誉回復のために、龍馬の言葉も一役買ったのである。