姉との別居

父親が亡くなってからというもの、母親は家の中に閉じこもり、食事も喉を通らない様子で、何もせずボーッとしていたかと思うと、突然泣き出したりするような情緒不安定な状態に。

子供の頃から、母親に一番怒られていたのは姉で、その次は門脇さんだったが、父親が亡くなってからは、全く怒らなくなっていた。半年ほど経つと、「何も考えなくてすむし、お父さんのことも忘れられるから」と言ってパチンコに出かけるようになった。

父親を頼りにしていた母親は、今度は妹を頼りにするようになり、妹が出かけるとなると、「どこに?」「誰と?」「何するの?」「何時に帰るの?」と質問攻めにしたり、妹が欲しがったものを何でも買い与えたりして、妹の気を引こうとした。

一万円札を手渡し
写真=iStock.com/AH86
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父親が亡くなって1年が過ぎようとしていた頃、引っ越しの話が出た。当時暮らしていた家は、長男だった父親が継いだ家だった。父方の祖母は交通事故で門脇さんが生まれる前に亡くなっており、祖父は門脇さんが幼い頃に亡くなっていた。母親が嫁いできてからというもの、母親は近所からよく思われておらず、歩いて5分ほどのところに住む父親の姉とも不仲だったため、父親は生前から、「俺が死んだら、家を売るなり自由にしていいからな」と口癖のように言っていた。

ところが、家を売ろうとしていることが父親の姉の耳に入ると、猛反対。父親には、東京で小さいながらも会社を経営している弟がおり、「引っ越すなら家を次男に譲るか、家を売るならお金をいくらか次男に渡せ!」と言う。

母親が困っていると、姉が、「私がここで一人暮らしをするから、アンタたち3人で引っ越せば?」と提案。

そうして2001年、姉と別れての生活が始まった。姉と離れれば、姉から罵倒される日々から解放されると思った門脇さんだったが、あろうことか姉は、毎日のように電話をかけてきては、門脇さんを罵倒。電話に出ないと、わざわざ1〜2時間かけて家まで来て、怒鳴り散らすように。

さらに姉は母親に対して、「私はアンタに虐待されて育った!」「いつも妹だけ特別扱いして! そんなんやから妹はマトモに育ってない、育て方が悪い!」「働けなくなったのはアンタのせいや! 面倒見ろ!」と罵倒し始める。

姉は定職につかず、1〜2カ月に1回は門脇さんたちが住む家に泊まりに来ては、毎回母親からお金をむしり取っていった。(以下、後編へ)

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