父親の事故
門脇さんは高校を卒業すると、調理師の専門学校へ進学。本当はボランティアの専門学校へ行きたかったのだが、父親は、「そんなものを学んでも稼げない」と言い、次に建築の専門学校を希望したら、「女のする仕事じゃない」と言われ、トリマーの専門学校も許してもらえず、唯一許してもらえたのが調理師の専門学校だった。
高校卒業後、姉は医療事務の専門学校へ進んだが、卒業後は就職しても長続きせず、転職を繰り返していた。
門脇さんの就職活動が始まると、「アンタなんか受からんから行っても無駄や! 行くんなら家事してから行け!」と玄関でもみ合いになり、結局面接に行けなかったことも。門脇さんが隙を見て外出すると、「何をしてたんや!」と有無を言わさずその日1日の行動を尋問され、「どうせ男と会ってたんやろ! 淫乱女が!」と吐き捨てるように言われた。
「私と姉との間に、何があったわけでもありません。姉は外ではいい子なので、ただ単に私を虐待することが、ストレスのはけ口だったように思います」
やがて門脇さんは就職。妹は園芸の専門学校を卒業し、働き始めた。それから2年ほど経った1999年の1月、門脇さんが24歳の時に「事故」が起きる。
トラックの運転手だった父親(当時49歳)は、早朝に出勤後、階段の踊り場で倒れている状態で同僚に発見される。どうやら会社の事務所に着き、タイムカードを押したあと、階段から落ちたようだ。すぐに救急車で運ばれたが、死亡が確認された。
目撃者がいなかったため、遺体は警察に引き取られ、朝の6時ごろに警察から自宅に電話が入る。「ご主人が亡くなったので警察署に来てください」。母親(当時49歳)と私たち姉妹と、近くに住んでいた父親の姉夫婦と共に警察へ向かった。道中、父親の姉は号泣し、母親と妹は放心状態。姉は平然としていた。
警察署に着くと、事故の顚末を聞かされたが、ショック状態の門脇さんたちは無言。「面会しますか?」と警察署の職員に言われると、母親と姉が面会した。しばらくして戻ってきた母親は、「狭い倉庫みたいなところに置かれていた!」と怒っていたが、姉は普段と変わらなかった。
その後、門脇さんは伯父(父親の姉の夫)と2人で死亡診断書を取りに行く途中で悲しみがこみ上げてきたが、涙を堪えた。医師からは、死因は脳挫傷だと知らされた。