1985年4月、大阪伊丹空港に降り立った私の所持金はわずか60ドル。当時、中国政府が厳しい外貨持ち出し規制を行っていたため、60ドルが海外持ち出しを認められる最高額であった。が、それでも1ドルで240円と両替できたから、私は所持金1万5000円で、伊丹空港に降り立つことができた。しかし、もしドル安の今、同じ金額の所持金で来日したら5000円未満となってしまう。
こんな体験もあって、本書を目にしたとき、思わず手を伸ばした。国際ジャーナリストである著者が、アメリカにおける豊富な人脈を活かして取材、執筆。著者は、金本位体制が終了した後、金という実物資産の裏づけのないまま基軸通貨であり続けたドルを「アメリカの力の幻覚だった」と一喝したうえ、「信用の失墜」という致命的状態にあるドルはこれからも安くなり続けると断言する。
さらに著者は近未来に起こりうる恐ろしいシナリオを描く。ある日、世界の人々が「ドルを基軸通貨として受け取らない」と言い出せば、ドルだけでなく、ドルに連動している世界の通貨も受け入れられなくなってしまうというのだ。これを、私が一介のジャーナリストの杞憂だと一笑できなかったのは、事実、すでにその前兆とも言える現象が見られるからだ。
例えば、香港ドルは米ドルとペッグしている。90年代、香港に近い中国・広東省では、香港ドルは第2の通貨のように流通していた。香港ドルで支払うと言えば、サービス精神のないタクシー運転手でも満面の笑みで目的地まで運んでくれた。
しかし、今は違う。香港ドルで支払おうとしたら、「人民元で」と運転手に注意される。「香港ドルではだめですか」と恐る恐る尋ねると、「ここは中国本土だ」と教育される。
国際決済に用いられる「ハードカレンシー」のことを中国語で「硬通貨」と言う。長い間、中国国民は人民元を硬通貨とは思わず、手持ちの人民元をなるべくドルや香港ドルなどの硬通貨に両替して、資産の価値を守ろうとしてきた。しかし、逆に「軟通貨」(ソフトカレンシー)だったはずの人民元は、まだ自由に兌換できないとはいえ、いつしか硬通貨に近い待遇を受けるようになった。
そんな感想を広東省・深センの運転手に話したら、「香港ドルは場合によってはまだ受け取る。しかし、米ドルは絶対だめだ」と言う。
天下の米ドルがここまで見下されてしまうとは。だが、ドルなき世界も怖い。最近まで世界2位の経済力を誇っていた日本の通貨・円の力では世界経済を動かすことはできない。中国は2010年、日本に代わって経済力世界2位という座を手に入れたが、人民元はまだ世界経済を支える基軸通貨になる力を身につけていない。日本も中国も世界の国々も、ドルの人質のような状態が続く。暗澹たる気持ちで本を閉じた私であった。