なぜ幕府は、女性の移動に目を光らせたのか
このように江戸幕府は、江戸から出ていく女を関所に監視させるだけでなく、女性一般の移動を関所によって強く制限していたわけだ。いったいなぜか。
その理由の一つは、各地域の人口を維持するためであった。地域の女性が他所へ移動してしまえばどうなるか。子供を生むのは女性ゆえ、当然、結果として人口は減ってしまう。それが農村であれば、農業生産力にも影響をおよぼすだろう。だから幕府や諸藩は、女性を土地にしばりつけようとしたのである。
これに加えて渡辺和敏氏は、幕府が元和年間に人身売買を禁止したにもかかわらず、17世紀後半までの借金証文に、借主が貸主に対して自分の女子を取られ、売ってもかまわないという「人身売買に関連するような文言が書かれた」ものが「各地に多く残っている」こと、さらに女手形の文中に「売買もの」ではないという記述が散見されることから、「逆に社会的に『売買もの』も存在していた可能性」を指摘し、関所が大名の妻子(人質)の逃亡の防止や人口減少の防止に加え、女性の人身売買を検閲する機能があったのではないかと論じている。
女手形には、発行者の印を押すことになっていた。だから各関所には、幕府の留守居役や京都所司代などの発行者の印影(判鑑)がすべて保管されてあり、通過時に、女手形の印形との照らし合わせがしっかりなされた。印の擦れなども含めて入念なチェックだったという。
「敵の侵入を防ぎ、怪しい者を通さない」。これが関所の第一の役割だが、時代によって、また為政者の思惑によって、関所は多様な役目・機能を持たされていたのである。