中国の介入にも民族問題が関連

7月28日、タリバン幹部と中国の王毅外相が天津で会談を行いました。この動きの背後にも、アフガニスタンの民族問題が見え隠れします。

パキスタンはインドに対抗するため、中国と友好関係を構築しています。今回、パキスタンが支援するタリバンが再びアフガニスタンの政権を握ったことで、パキスタン・中国・アフガニスタンの三国協調関係が成立する見通しです。

タリバン幹部と王毅外相の会談では、中国がタリバンを支援する代わりに、中国国内のウイグル人問題にアフガニスタンは介入しないという相互密約が交わされたと考えられます。

アフガニスタンはワハン回廊を介して、中国の新疆しんきょうウイグル自治区と接しています。ウイグル人の中国からの分離独立を目指すイスラム主義組織、東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)が、タリバン政権に今後どのようにコミットするかが注目されます。その行方次第によっては、中国とアフガニスタンが対立する可能性もあります。

「三国協調」の不安定要因となりうるバルチ人

ウイグル問題に加え、今後アフガニスタンと中国との関係で鍵を握りそうなのが、パキスタン西部からアフガニスタン南西部に居住するバルチ人の存在です。バルチ人の住むエリアは「バルチスタン」と呼ばれます。

バルチ人もやはり、イラン系です。彼らはかつてカラート藩王国(1638年~1955年)を形成し、インドのムガル帝国とイランのサファヴィー朝の間に挟まれながらも、巧みな外交を展開し、両勢力に屈服しませんでした。

1947年、イギリスのインド統治が終了すると、バルチ人は元々インドに属していなかったとして、その後独立したインドやパキスタンに組み込まれるのを拒否。パキスタンも当初は、バルチスタンの独立を認めていました。

しかし、その後パキスタンは方針を転換。バルチスタンに軍事侵攻し、1955年には一方的に併合してしまいます。バルチスタン州には石炭や天然ガスなどの豊富な資源があり、それらが狙われたのです。バルチ人はバルチスタン解放軍を結成し、独立運動を活発化させます(ちなみにパキスタンでは、インド・アーリア系のパンジャーブ人が最大民族です)。