アレクサンドロス大王の正妃になった豪族の娘
紀元前4世紀、未知の地への夢と野望に駆られてギリシアからアフガニスタンにやって来たアレクサンドロス大王は、この地域のイラン系民族と激しく戦い、苦戦の末、ようやく平定しました。大王は彼らを懐柔するため、アフガニスタン北部バクトリアのイラン系豪族の娘ロクサネを正妃に迎えています。
インド遠征の足場となるアフガニスタンは戦略的に重視され、アレクサンドロス大王は数万人のギリシア人兵士を置いています。彼ら兵士と現地のイラン系民族との結婚が奨励されて、この地域をギリシア化しようと試みました。
大王の武将であり、後にセレウコス朝の創始者となったセレウコス1世もまた、現地のイラン系豪族の娘アパメーと結婚しています。結婚がさかんに行われたのは、こうした戦略上の理由からだけでなく、アフガニスタンの碧眼の女性たちが極めて美しかったということも、大きな理由の一つだったでしょう。
入り組んだ山岳地帯に点在する部族社会
上記のパシュトゥーン人、タジク人に加え、後述するバルチ人と呼ばれる人々(米中央情報局の2013年の推計で人口の約2%、以下同)などを含むイラン系民族は、アフガニスタンの人口の8割近くを占めています。それ以外の少数派として、トルコ系のウズベク人(ウズベキスタン最大民族、人口の9%)やトルクメン人(トルクメニスタン最大民族、3%)、民族的ルーツとしてはモンゴル系だがイラン系の言語を話すハザーラ人(9%)などが存在しています。
アフガニスタンは入り組んだ山岳地帯であり、各地域が孤絶された中にさまざまな部族が点在し、それぞれが独立勢力を形成していました。同じパシュトゥーン人やタジク人の中でも、多数の部族に分かれていたわけです。
パシュトゥーン人はアフガニスタン南部のカンダハルを本拠にしています。パシュトゥーン人勢力のタリバンもやはり、カンダハルを本拠にしています。タリバンの最高指導者ハイバトゥラ・アクンザダ師はカンダハルに生まれ育ったとされます。タリバンの報道官は「(アクンザダ師は)カンダハルにいる、最初からずっとそこに住んでいる」と述べています。
「カンダハル」は「アレクサンドロス(Alexandoros)」の「Ale」が落ちて「xandoros」が転訛したとの説がありますが、これは俗説の類いでしょう。仏教が隆盛したことで有名な「ガンダーラ」が転訛したとする説もありますが、これも俗説です。ガンダーラ地方はカンダハルよりもずっと東北のパキスタン北部を指し、地理上の位置に合いません。