パシュトゥーン人とタジク人の終わりなき争い

パキスタンの支援によって生まれたタリバンは、1992年以降アフガニスタンで急速に勢力を拡大させていきます。部族間の争いに明け暮れていたムジャヒディーンは人々の支持を失い、代わって、タリバンが支持を集めます。ヘクマティヤール派のパシュトゥーン人も、タリバンに合流した者が多くいたとされます。

北部のタジク人はマスードを中心に、タリバンに対抗するため、北部同盟を結成します。しかし、彼らもタリバンの勢いを止めることができず、1996年、タリバンはカブールを占領。政権を掌握しました。ちなみに同年、タリバン政権はアルカイダのオサマ・ビンラディンを国内にかくまい、同組織と連携していきます。

2001年9月9日、マスードはジャーナリストを装った人物の自爆テロで暗殺されます。その2日後、アルカイダによる9.11同時多発テロ事件が発生。それを受けたアメリカを中心とする「有志連合」の攻撃によって、第一次タリバン政権は同年12月に崩壊しました。

タリバンが再び政権を掌握した現在、マスードの息子アフマド・マスードJr.がタジク人勢力を率いて、カブール北部のパンジシール渓谷でタリバンに徹底抗戦していると伝えられています。パシュトゥーン人とタジク人の争いは終わりが見えません。

13世紀半ばのイル・ハン国の末裔であるハザーラ人

さらに、この対立構図の中に、アフガニスタン中央部に居住するハザーラ人が加わります。ハザーラ人はモンゴル系で、チンギス・ハンの孫フラグが13世紀半ばに建国した、イル・ハン国のモンゴル人の子孫と考えられています。

ハザーラ人の子どもたち
学校に通うハザーラ人の子どもたち(2019年6月29日撮影)(写真=Temorhamid2019/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

イル・ハン国は現在のイランとその周辺地域を本拠としていたため、ハザーラ人はイランの影響を強く受け、イスラム教シーア派を信仰しています。そのため、スンナ派が多数のアフガニスタンではたびたび差別や迫害の対象になり、タリバンによっても弾圧されています。

イランは以前からハザーラ人に人道的・軍事的支援を提供しており、今後もハザーラ人を通じてアフガニスタンに影響力を及ぼそうとするとみられています。一方で、かつて対立していたタリバンとも、近年はタリバン幹部とイラン要人の接触が報じられるなど、関係構築に向け動いているようです。