高齢となった親の心身が衰えていくのを近くで見るのはつらい。現在53歳の和栗葵さんも6年前から80代の父親と同居を始めて以来、ストレスがたまり、ちょっとした行き違いですぐ口論に。一触即発の険悪な空気の中、どんなに献身的に介護をしても感謝の言葉は返ってこない。在宅介護の限界を思い知った和栗さんが起こした行動とは――(後編/全2回)。
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写真=iStock.com/pixalot
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【前編のあらすじ】
関東在住の和栗葵さん(仮名・53歳・独身※バツ2)は10歳の頃、あることがきっかけで母親と絶縁状態に。高校卒業後に家を出て以来ほぼ音信不通状態だったが、アラフォーとなった自分の元に母親ががんになったと連絡が入った。余命2カ月を宣告されると悲しみを実感。タクシー運転手になって「母を車に乗せ、生きているうちにいろんなところに連れて行ってあげたい」と思った矢先、母は73歳で他界。葬儀を終えて落ち着いた頃、大学に進学するひとり息子とともに、80代の父親と同居することを決意。だが、親子孫三世代の暮らしは苦痛に満ちたものだった――。

急激に衰えていく父親

和栗葵さん(仮名・現在53歳)はバツ2の独身だ。47歳の頃から、大学生の息子と父親とともに関東地方の賃貸マンションで暮らしている。

70代までは友人知人と旅行や外食などで家を空けることも多かった父親だが、80代になると旅行に行っても日帰り。外食も減った。

80歳になるまで車を運転していた父親だが、仕事で腰を痛めた和栗さんが父親に迎えを頼んだところ、父親の運転が荒く、無駄にキョロキョロして落ち着きがなかったため、免許の返納を勧める。ちょうど車検の時期だったため、これを機に廃車に出し、次の更新時に免許を返納。

2015年、父親が「お腹が痛い」と言い始め、自分であちこちの病院にかかるが、原因がはっきりわからない。2カ月ほどして、ようやく胆のうが炎症を起こしていると判明。腹腔鏡手術をしたが、思いのほか、病状が重かったのか、途中で開腹手術に。胆のうを摘出し、無事手術は終了。父親は4週間で退院した。

2016年末、父親は「(2009年に他界した)母さんが大好きだった大学芋を買って来るから」と言って友人とどじょうを食べに出かけ、夜、ご機嫌で帰宅。宣言通りに大学芋は買ってきたが、「カバン忘れてきちゃったんだよねぇ」とヘラヘラ顔だ。

高齢の病み上がりで持病持ちなのに、と一気に頭に血がのぼる和栗さん、「レシート見せて! 財布は? 携帯は? ポケットの中全部出して!」と質問攻めにするが、酔っ払った父親は全く答えられない。

かろうじて帰りに使ったタクシーの領収書があったため、タクシー会社に連絡すると、カバンはタクシーの中で発見。有料だが持って来てもらうと、タクシーの運転手が、「あなた娘さん? お父さん、だいぶボケてるよ」と一言。

また、スケジュール管理が大好きな父親。もらったカレンダーがいっぱいあるからと、自分の部屋やリビング、トイレに玄関、廊下やキッチンにまでカレンダーを貼っていた。

和栗さんがふと気づくと、12月なのに11月のまま。父親に言っても「ああ、そう?」と言うだけ。

同年9月、高血圧と糖尿病のある父親をたまたま病院に送り、和栗さんが診察室まで付き添ったところ、主治医に、「そろそろ1人で病院に行くのは難しいのでは?」と言われる。

さらに処方箋をもらいに薬局へ行くと、「お父様、お元気とはいえ、検査などの難しいお話や病名などは、私たちだって覚えられません。検査などでお疲れの上のお話では、なおさら頭に入りませんよ」と、薬剤師からも言われ、和栗さんは「これからは極力付いて行こうと思います。ありがとうございます」と答えた。

その帰り、父親は、診察室では医師に、待合室では看護師に、受付では事務員に、薬局では薬剤師に片っ端から話しかけ、相手の状況も構わず、長々と自分の話をしようとする。

そんな父親を見ていると、和栗さんは次第に悲しくなり、泣きたくなってきた。

「父は、昔(印刷会社を経営)はそんな人ではありませんでした。親戚からも紳士的で素敵な人だと思われていたのに、まるでかまってちゃんオーラプンプンの面倒くさい年寄り。私はいたたまれなくなって、『仕事に戻るから』と言ってそのまま別れましたが、悲しさと疲れとあきれで、もう口も聞きたくない気分でした。これから父は、介護や支援を受けないといけない事態になっていくんだな。本当に介護生活が始まるんだな。そう再認識させられました」