現在53歳の女性は10歳の時から母親とは“絶縁”状態になった。高卒後に家を出て、結婚・離婚・出産を2度繰り返し、40歳になった頃、母親が2度目のがんにかかり、その影響で認知症に。体や脳の機能が衰え、余命宣告を受けた母親を見て、元ダンプカー運転手の女性はある天職に巡り合うことができた――(前編/全2回)。
ソファで膝を抱えて思案する女性
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹の有無に関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

反発心の強い三女

関東在住の和栗葵さん(仮名・53歳・独身※婚歴あり)は1968年、夫婦で小さな印刷会社を営む、当時34歳の父親と33歳の母親の間に三女として生まれた。

小さい頃ぽっちゃりしていた和栗さんは、賢くしっかりした5歳違いの長女と、スリムでハキハキした4歳違いの次女と比べられ、反発心の強い子どもに育つ。

三姉妹で共通の記憶は、「母に褒められたことがない」。母親自身、お茶やお花を教える厳格な母親に育てられ、自分にも他人にも厳しい性格だった。

和栗さんが10歳の頃、母親と和栗さんは、街で友だちの母親に会った。和栗さんの母親は立ち話をしているうちに、うっかり和栗さんの体重を口にしてしまった。

もともと体型に劣等感があり思春期に入っていたこともあって、その日以降、和栗さんはより一層母親に反発。憎み、嫌悪し、一切「お母さん」と呼ぶことさえなくなった。

母子関係の悪化もあり、中学、高校と心理的に荒れた青春時代を過ごすことになった和栗さん。唯一の楽しみの時間はアルバイトだった。高校2年の頃にバイト先で知り合った5歳年上の先輩と仲良くなったのだ。その男性が翌年大学を卒業して大手企業に就職。和栗さんが高校を卒業してから付き合い始め、19歳のうちに結婚を決める。「母親から離れたい。家を出たい」という一心だった。

ただ、約1年後、夫の転勤先の中部地方で息子を出産するも、21歳で離婚。離婚理由を和栗さんは、「夫は自己中心的な性格で、家庭を顧みない人だったから」と話すが、若い和栗さんの側にも至らないところもあったのかもしれない。

離婚時2歳になっていた息子の親権を巡る裁判で負け、夫側に引き渡すことに。以降、和栗さんは夫側とは全く付き合いはなく、息子にも会っていない。

離婚後、和栗さんは、引っ越し代やアパートを借りる費用を両親に無心。両親は実家へ戻るよう言ったが、和栗さんはそれを頑なに拒否した。

そして22歳の頃、2歳年上の公務員の男性と知り合い、約1年後に結婚。その年に再び、男の子を出産した。

ところが、夫は古い考えの残る“本家の長男”。和栗さんは、「本家の長男の嫁」「もっと子どもを産め」という義両親からのプレッシャーに耐えられない。だが、夫もそれをよしとする人だったため、夫とのケンカが頻発した。

「私は、『この家に嫁に来たのではなく、あなたの妻になったのに!』と反論していましたが、夫は両親の言いなり。しかも夫は女性関係とお金にルーズな人。正直、内縁関係のほうが楽だなと思いました」

結局和栗さんは、26歳の頃から別居し、28歳で離婚。2回目は円満離婚となり、息子は和栗さんが引き取り、元夫と元義両親とも交流は続いている。