不仲な母親ががんに
和栗さんは19歳に実家を出てからの約10年間に2度の結婚と離婚と出産をしたことになる。その間、両親とは疎遠な状態がつづいている。
中でも、「体重事件」以来、犬猿の関係を引きずっていたのが母親だ。その母親は1985年、和栗さんが高校2年の頃に胃がんを患っていた。
幸いにも初期に見つかったため大事には至らなかったが、ある日突然、母方の祖母から突然電話がかかってきて、「娘を病気にしたのはあんただ!」とののしられ、和栗さんは、「うるせえ、くそばばあ!」と怒鳴り返して電話を切った。
当時の和栗さんは、母親に対して全く興味がなかったため、母親の手術には立ち会ったものの、「病院臭い。早く帰りたい」としか思わなかった。
それから20年以上経った2007年、母親は膵がんが発覚。後で聞いた医師の話によると、先の胃がんとは全く別のがんだという。
中学・高校時代に荒れて家族に迷惑をかけ、19歳で半ば家出のように実家を飛び出した和栗さん(当時35歳)には、家族から何の連絡もなかった。
そして2008年8月、運送会社仕事の昼の休憩時間、同僚と喫茶店に入ってすぐに、父親から電話がかかってきた。「口座にお金を振り込むから、それを使って週末実家に帰ってきてくれないか」という内容だった。
両親は、70歳の時に印刷会社をたたんでいた。当時、34歳で離婚して実家近くに引っ越してきていた長女は、会社の整理を手伝った。次女は結婚して家を出て、保育士になっていた。
父親と姉たちは、母親の看病と自分たちの仕事や家庭などの両立生活に疲れ切ってしまっており、父親を通じて和栗さんの助けを求めたのだった。
和栗さんは週末に中部地方から駆けつけ、母親は腹腔鏡の専門病院で手術を受けた。
ところが、手術自体は成功したものの、72歳になっていた母親は、刺激の少ない入院生活で認知の低下が進み、徘徊するようになってしまう。時には、病院の敷地外に出てしまい、看護師によって警察に捜索願が出されたこともあった。
そして2009年3月、肝臓へのがんの転移が見つかり、母親は終末期における医療的、介護的ケアをするターミナルケア病院への転院が決まった。