政権批判の材料として「五輪反対」を唱えた人々
五輪では大半の競技が無観客開催だったが、結局、全国的に陽性者は激増した。「五輪を催せば人流が増え、人が死ぬ」「無観客にすれば陽性者はそこまで増えない」といった設定はどこへ行ったのか? 「無観客だから人流そのものは抑えられた。有観客よりはマシだった」みたいなロジックはナシでよろしく。当初、アンチ五輪を叫んでいた人々は「人流が増えると人が死ぬ。中止にすべきだが、最悪でも無観客」的な主張を喧伝していたではないか。なぜ、全国で陽性者が増えたのか? なぜ、東京から遠く離れた愛知県の医労連があそこまで反対をしたのか? サッカーの試合を有観客で実施した宮城県では、陽性者と死者が実際に激増したのか? 他の都道府県と有意な差異はあったのか?
五輪反対派は、これらの問いに対して明確な説明や反論はできないだろう。彼らはとにかく反政権を唱えたいだけなのだ。その都度、自分たちにとって都合のよい解釈を振り回しながら、政権批判を続けるためにコロナを利用しているにすぎない。
日本人選手のメダルラッシュにメディアは論調を一転
そうした連中の非論理的主張にはいちいち付き合っていられないので、ここからは当連載で以前、私が著した記事『「五輪開催は人命軽視」そんな空気は日本の金メダルラッシュで一変するはずだ メディアの「手のひら返し」はお約束』(2021年5月31日公開)について再検証してみたい。タイトルだけでおおよその内容は想像できるだろうが、私はこの記事のなかで、五輪開幕後に起こるさまざまな変化を予想した。要は、その“答え合わせ”をしていこうというわけだ。
答え合わせの前に、まずは東京五輪を大まかに振り返ってみる。大会初日の7月24日、柔道男子60kg級に出場した高藤直寿の金メダル獲得に始まり、翌25日には柔道男子66kg級の阿部一二三、女子52kg級の阿部詩が“兄妹金メダル”の快挙。さらには同日、競泳の女子400m個人メドレーで大橋悠依が金メダルを獲得(同種目で日本初の金)と、日本勢は開幕早々から大活躍。これで一挙に五輪ムードは高まった。
テレビを中心に、メディアはアスリートへの絶賛を開始。ツイッターでは「手のひら返し」がトレンドに入った。それを受け、中日スポーツの電子版は『東京五輪メダルラッシュで「手のひら返し」トレンド入り 民放各局の姿勢疑問視「玉川氏も嬉しそうに」』という記事を掲載するほどだった。
以後、瀬戸大也(競泳)や桃田賢斗(バドミントン)、森ひかる(トランポリン)ら金メダルを期待されていた一部選手の不調などもあったが、各種の競技で日本代表の躍進は続き、テレビはそれまでの批判的論調を一転させて、メダリストを連日称え続けた。ただし「コロナは依然として深刻ですが……」といった言葉は随所に挟まれていたし、選手たちもインタビューでは「こんな時期に開催してくれてありがたい」的なことを頻繁に口にしていたので、コロナの陰は常についてまわっていたといえる。