江戸時代の東京は、いったいどんな街だったのか。『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)を書いた歴史評論家の香原斗志さんは「江戸は水と緑にあふれ、野鳥の天国だった。その美しさは同時代の欧州の諸都市をはるかにしのぐものだった」という――。
江戸城の眼鏡橋(手前)と二重橋(奥)から伏見櫓を望む。
著者撮影
江戸城の眼鏡橋(手前)と二重橋(奥)から伏見櫓を望む。

木々と水辺が多かった江戸

野鳥のさえずりが絶え間なく聞こえる。何種類もの水鳥が集まり、時に群れをなして飛ぶ。春から秋には多くのチョウが舞い、トンボが空を埋める。江戸はきっとそんな都市だったと想像している。

そう思う理由のひとつは、天保年間(1830~44)に斎藤月岑げっしんが七巻二十冊を刊行した地誌『江戸名所図会』にある。

江戸の名所の集大成で、ことに長谷川雪旦せったんの挿画がすばらしい。鳥瞰ちょうかんするように描かれた写実的で精密な絵から、名所の様子が映像を観るように伝わる。

強く感じたのは、江戸は思いのほか木々に囲まれ、水辺が多いということだった。

ヨーロッパの市街地に緑が少ないワケ

江戸が「思いのほか木々に囲まれている」と書いたが、「思いのほか」なのは、西洋の都市との違いを感じるからである。私はヨーロッパをよく訪れるが、市街地に緑が多いとはいえない。

イタリアのフィレンツェを例にとろう。旧市街は石づくりの建築がぎっしりと建ちならび、木々は中庭などに若干見られる程度である。教会や修道院の中庭には多少の樹木や花壇が見いだせるが、配置や刈り込み方が幾何学的で、日本のように自然に枝を伸ばした木々に囲まれている例は少なく、鬱蒼うっそうと繁っていることはまずない。