庭園はどうだろう。典型的なイタリア式庭園として世界遺産にも登録されているボーボリ庭園は、四万五千平方メートルの敷地を緑がおおっている。だが、強い軸線が敷かれ、木々も花壇も幾何学的かつシンメトリーに配置されている。

フィレンツェのピッティ宮殿から見たボーボリ庭園
写真=SPUTNIK/時事通信フォト
フィレンツェのピッティ宮殿から見たボーボリ庭園

池も同様で、あえて重力に逆らうように噴水が設けられ、そこかしこにルネサンス期や古代の彫像が置かれている。江戸の庭とは発想がまったく違う。

西洋の庭で主張されているのは、人間による自然の支配と管理だろう。大きく影響しているのはキリスト教である。キリスト教の教えでは、すべてのものは唯一絶対の神の被造物で、なかでも人間はほかの被造物より一段高い位置に置かれる。

旧約聖書』の「創世記」には、神は人間を創造し、「海の魚と、空の鳥と、家畜とほかのすべての獣と、地を這うすべてのものを治めさせる」ことにし、「生めよ、増えよ、地に満ちて、地を従わせよ」と命じたと書かれている。

この記述は、人間以外の被造物は神が人間のために創造したものだ、という意味に解釈されてきた。だから、人間は神意にしたがって自然を支配し、利用してこそ、最後の審判の日に永遠の生命を与えられる、と考えられたのである。

地獄に堕ちないためには、人間は自然との間に一線を引き、自然を対象化する必要がある、と。

行き着いた先のひとつが、幾何学的な構造をもつ庭である。

庭の中心に軸線が置かれているのは、造園に透視図法(線遠近法)が反映された結果だといえよう。これは、奥に伸びる平行線がひとつの消失点に収束するように描く空間の表現方法である。

フィレンツェでは十五世紀はじめに、建築家のフィリッポ・ブルネッレスキが鏡に洗礼堂の輪郭を写しとり、どんな建築物の輪郭もひとつの消失点に向かって集約することを発見してから、あらゆる画家が透視図法を利用するようになった。

これは言い換えれば、自然は数学的な構造をもつ、と気づいたということだ。

フィレンツェの芸術家にとっては、自然をそのように分析的に表現することは、すなわち神意にしたがうことだった。

キリスト教の影響はそれほど大きく、そのことは都市の構造からも実感できる。

石造建築が隙なく建ち、どんな街路もすみずみまで石で固められ、添えられた植物は幾何学的に整理されているのも、神意に沿って自然を管理した結果だろう。