「おつかれさま」「よろしくお願いします」は、日本語で仕事をする人には欠かせない言葉だろう。しかし、英語にはこうした表現はない。言語学者の井上逸兵さんは「日本語の決まり文句は、日本の文化に深く根ざしている。それを英語にそのまま訳すことはできない」という――。

※本稿は、井上逸兵『英語の思考法』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

名刺交換
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アニメ、テリヤキ、ゼンは英語になった

どんな言語にも他の言語には翻訳しづらい定型句がある。日本語と英語を比べると、訳しづらい決まり文句は日本語の方が多いと考えられる。なぜなら英語の決まり文句は明治以降の日本の西欧化の中で、その「翻訳日本語」が定着してきたためだ。

英語ではごくごく日常的なI love you.が翻訳された「愛してる」なんて日本語は、一昔前には映画の中にしか出てこない、ある世代以上の人たちには口にしたことのない言葉だろう。

「お目にかかれて嬉しいです」なんて言葉も、Nice to meet you.の翻訳日本語として、だいぶ耳にするようになった。

have a good time、enjoyなどからできた「楽しむ」というような言葉も同様である。これを、例えばスポーツ選手が使うようになったのは、新聞各社のデータベースを見ると、本格的には平成に入ってから(1989年以降)である。

この逆のことは、今のところ起こっていない。英語にも外来の定型句の翻訳と思われる表現はある。

Long time no see!
(久しぶり!)

などは諸説あるが、本来英語起源の言葉ではないことが知られている。しかし、日本語の決まり文句が翻訳表現として英語になったものはないようだ(単語レベルでは多数ある。animeteriyakizensayonaraなどそのまま英語になったものだ)。

日本語の決まり文句は、日本の文化に深く根ざしている。コミュニケーションのタテマエが凝縮された表現だ。それだけに、英語にそのまま訳すと、変な表現になるか、場合によっては不適切、不躾な表現になってしまう。見方を変えると、逆に本書で扱うような英語の核心的タテマエを見る格好の材料でもある。