NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、藤吉郎(豊臣秀吉)のきょうだいとして、秀長、とも、あさひが登場している。歴史評論家の香原斗志さんは「宣教師ルイス・フロイスが記した『日本史』には、別のきょうだいの話が記載されている」という――。
豊臣秀吉
豊臣秀吉(写真=狩野随川/名古屋市秀吉清正記念館蔵/ブレイズマン/PD-Japan/Wikimedia Commons

「秀吉の弟は秀長一人だけ」とは言い切れない

今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、周知のとおり、羽柴(豊臣)秀長を主人公に兄の秀吉との関わりが描かれる。その秀長は、秀吉が天下を統一するうえで計り知れないほど大きな役割を果たし、秀吉の唯一無二の弟だったと語られる。

たしかに、秀長が唯一無二の働きをしたことは疑う余地がない。だが、秀長が秀吉にとって、ほんとうに「唯一の弟」であったかどうかは、後述するように、確定しているわけではない。ほかに弟がいた可能性は、否定しきれていないのである。

そのことを述べる前に、秀吉の兄弟および姉妹について確認しておきたい。秀吉は天文6年(1537)2月6日生まれ、秀長は同9年(1540)の可能性が高く、そうであれば3つ違いの兄弟ということになる。

2人の母親はのちの大政所でいい。父親に関しては、よく引用される『太閤素性記』では、秀吉の父は織田信長の父の信秀に足軽として仕えた木下弥右衛門で、その死後、秀吉の母は筑阿弥と再婚。あたらしい夫とのあいだに生まれたのが秀長だとしている。

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だが、『太閤素性記』は、木下弥右衛門が死んだのは「秀吉八歳」のときとしており、秀長との年齢差が3つだとすると計算が合わない。一方、秀吉の姉の菩提寺に伝わる史料では、父に該当する人物が死んだのは天文12年(1543)となっている。秀長が生まれた3年後である。

こうしたことから最近では、秀吉と秀長は同父兄弟だと考える研究者が多い。

「秀吉の姉」と書いたが、秀吉と秀長の兄弟には姉妹もいた。一般に「智」と呼ばれる姉はかなり長生きで、寛永2年(1625)4月24日に没しており、享年は史料によって92とも94とも記されている。だが、公家の小槻孝亮が記した『孝亮日記』の記述を優先する向きが多く、そうであれば天文元年(1532)の生まれで、秀吉より5歳、秀長より8歳年長だったことになる。

ちなみに、この姉は三好みよし吉房よしふさと結婚し、3人の男子の生母となった。のちの羽柴秀次、羽柴小吉秀勝、羽柴秀保(誕生時期から養子と考える向きもある)である。

もっとも、秀次は秀吉の後継として関白にまでなりながら、秀吉と対立して切腹し、一族もみな惨殺された。小吉秀勝も秀吉の養子になったが、朝鮮出兵中に病死。秀長の養子になった秀保も早世した。姉自身は秀次事件のあとで出家したが、一族の不幸をみな背負ったような、長すぎた余生だったのかもしれない。