娘を亡くしたブータン人の母親の慟哭

その間も、ソナムさんの意識が戻ることはなかった。2019年7月にはブータンから母親が来日し、11月まで福岡に滞在した。ブータン人留学生のアパートに身を寄せ、娘の入院する病室を訪ねる毎日である。

母親は病室に入ると必ず、ソナムさんに脈があることを確かめた。そして反応のない身体を愛おしそうにさすっていた。

母親が帰国する前、病院側から病状についての説明があった。回復の見込みがないと告げられ、脳死判定をするかどうかの決断が迫られたのだ。日本の病院では、家族の同意があって始めて「脳死」の判定が下される。また、判定があっても、家族が希望すれば延命措置は続けられる。

しかし結論は出ず、母親はブータンへ帰国した。そして医師でもあるロテ・ツェリン首相との面談を経て、脳死判定に同意した。

母親は2つのことを望んでいた。1つは、体調の悪化した彼女に代わってソナムさんの弟が来日し、生命維持装置の取り外しに立ち会うこと、もう1つが遺体をブータンへ持ち帰ることだ。

窓の前に座って意気消沈した女の子
写真=iStock.com/kaipong
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しかし、2つの願いともかなわなかった。弟の来日は、ちょうど始まった新型コロナウイルスの感染拡大で困難になった。遺体の空輸にも高額な費用がかかるため、ソナムさんは日本で火葬されることになる。

日本は留学生を食い物にしたままでいいのか

ソナムさん以外のブータン人留学生たちは、日本語学校を卒業すると多くが帰国していった。アルバイト漬けの毎日で、進学や就職に十分な語学力が身につかなかったのだ。留学時に背負った借金を抱えたまま帰国した者も少なくない。

彼らの人生は、日本への留学で台無しになってしまった。

ソナムさんの悲劇、そしてブータン人留学生たちの不幸は、「留学生30万人計画」の闇を象徴している。同計画によって、アジア新興国では出稼ぎ目的の“留学ブーム”が巻き起こった。ブータンに至っては、政府ぐるみで若者を日本に“売った”ほどだ。結果、留学生たちは日本で過酷な現実に直面した。

ソナムさんらは借金返済に加え、日本語学校に支払う翌年分の学費を貯める必要もあった。だから法律違反だとわかっていても、身体を酷使こくしして働かざるを得なかった。そして今も日本には、同じ境遇にあるアジア新興国出身の留学生たちが10万人単位で存在している。

3月に亡くなったスリランカ人女性が、そんな留学生の1人だったかどうかは知れない。しかしスリランカ出身の留学生に、多額の借金を背負い来日している者が多いことはまぎれもない事実である。