ましてや中国の現政権は、インターネット上の庶民の日常会話ですらあまりに敏感で、少しでも政権に不都合な発言でもあればただちに封じ込めてしまう。徳を以て民を治めるといった度量のある政治からは程遠い。
ちなみに、前出のリー・クアンユー公共政策学院院長のキショール・マブバニ氏は2020年6月8日、米国の雑誌「The National Interest」のWEB版で、「中国共産党の主な目的は、世界規模で共産主義を復活させることではなく、世界最古の文明を復活させることだ」とコメントしている。
内向きな愛国主義で終わるべきではない
中国の文明といえば漢字がある。「仁」という字は、人偏に「二」と書くが、『孔子』(井上靖著)には、孔子の言葉としてこう書かれている。
「親子であれ、主従であれ、旅で出会った未知の間柄であれ、人間が二人、顔を合わせればその二人の間にはお互い守らなければならぬ規約とでもいったものが生まれてくる。それが仁というものである」
「信」については、人偏に「言」と書くが、「人間の口から出す言葉(言)は、真実でなければならない」という意味だ。
世界の四大文明の中の一つである中国文明だが、紀元前の周の時代には、のちに東アジア各国に大きな影響をもたらす思想哲学が生まれた。「礼」や「仁」、また「信」という漢字に込められたのは、これを失えば世の中が乱れ、逆にこれを重んじれば社会秩序は維持できるという儒学思想である。紀元前に生まれた古い思想ではあるが、今なお東アジアに共通する価値観であり続けているのだ。
中国の現政権が目指している「中華民族の復興」は、単なる内向きな愛国主義で終わるべきではない。西洋の価値観がフィットしないというならば、中国が行うべきは、中国古代の思想の中に、哲学的な深み、あるいは人類の普遍的価値を探求することではないだろうか。少なくとも、中国共産党の性格が時代とともに変化し、「人倫」と「ルール」を以て国を治める価値観を生み出せば、世界平和の維持に大きな貢献をもたらすはずだ。