共産党による一党独裁政治が続く中国で、かつて民主的な手法を取り入れようとした時代がある。「住民自治」が実現するチャンスだったが、意外にも市民は投票に無関心だったという。一体なぜなのか。フリージャーナリストの姫田小夏氏が解説する――。

※本稿は、姫田小夏『ポストコロナと中国の世界観 覇道を行く中国に揺れる世界と日本』(集広舎)の一部を再編集したものです。

中国
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エリートだけが政治を動かせる中国社会

かつての中国では、官僚登用のための試験制度「科挙」が存在した。「(試験)科目による選挙」ともいわれ、試験と選挙の2つの機能を併せ持っていた。現代中国史の研究者であり、『中国歴代政治得失』の著者である銭穆(チェン・ムー)氏によれば「試験は客観的かつ公平な標準により人を選ぶという、極めて民主的な方法である」という。中国には一定の条件を満たしたエリートが代表者となり、政治を動かしてきたという歴史があり、それは今なお変わらない。

現代の中国では、全国から選出された約3000人の代表者が参加する「全国人民代表大会(全人代)」が毎年1回(3月、2020年はコロナウイルスの影響で5月)開催され、「多数決」で立法権を行使する。「日本の国会に相当する」とよく言われるが、全人代は行政権・司法権・検察権までも集中させる国家の最高権力機関である点が日本とは異なる。

約3000人の代表は、省・自治区・直轄市・特別行政区の人民代表大会と、人民解放軍から選出された代表によって構成される。小さな市や区、郷、鎮などの基層レベルでは直接選挙が行われる。基層レベルの当選者が省級レベルの代表を選び、それらが3000人の全人代の代表を選出するといわれているが、実際には内部による指名で選ばれている。

憲法上では全人代が最高の国家権力機関とされているが、全人代とその代表は国民の意思を完全かつ真に反映しておらず、実際には共産党がこれを支配している。

「民主政治に近づけるべき」という声があった

「当時、この人民代表大会を西側の民主政治に近づけるべきだという声がありました」と語るのは、愛知大学名誉教授の加々美光行氏だ。1980年代から90年代にかけて日中間を頻繁に往復していた加々美氏は、基層レベルで行われた人民代表大会の選挙集会をたびたび観察し、多くの有権者が熱心に演説に耳を傾けているシーンを目撃している。

「欧米の民主主義を理想とした政治制度に、当時は中国国民の多くが関心を向けていた」と加々美氏は話す。1989年5月30日、天安門広場には自由の女神像までも設置され、学生を中心に民主化要求を行っていたが、事態は6月4日の武力制圧(天安門事件)になだれ込んだ。

加々美氏が「中国に民主主義を根付かせるとすれば、全人代を直接選挙に代えることだという期待感がありましたが、趙紫陽氏の失脚とともに消えてしまいました」と話すように、政治の民主化の希望や夢は一気に崩壊した。